妻の骨折 その2

 日曜日の病院は閑散としていた。処置室からX線室までの長い廊下の片側には椅子がずっと置かれていた。その反対側の壁はタイル張りで、カモメや太陽、波など海をイメージしたデザインがされていたが、照明のせいもあり薄暗く陰湿な雰囲気だった。僕たちの他にはやはり自宅で転倒したらしいお年寄りや理由はわからないがふらついてやっと歩いている若い女性などがいた。

 レントゲンとCTの撮影が終わると、妻はストレッチャーに乗ったまま、その長い廊下の片側に安置された。近づいて足の痛みを訊くと、あまり痛くないという。気持ちも落ち着いていたので安堵した。そして、手術が必要になりそうだといわれたといった。どのくらい待っただろうか、先生から状態についての話があるといわれ処置室の隣にある診察室に入った。

 レントゲン写真をみると左足のくるぶしに近いところの腓骨が折れており、足首が大きく外側にずれていた。脱臼骨折というらしい。足首が大きくずれているため、靭帯も断裂していて、折れた腓骨のところにプレートを入れ、断裂した靭帯を縫い合わせる手術が必要になるといわれた。手術は不可避のようだった。このまま入院した方がいいといわれた。

 しかし、入院を強く勧められたわけではなく、また、月曜日に手術できるかどうかわからないので、妻の強い希望もあって、この日は帰宅して月曜日に来院、今後を決めるという段取りになった。タクシーを呼んで家まで帰り、貸してもらった松葉づえをつきながら家に上がった。それにしても、松葉づえとはとても不便なものだ。僕も借りて少し動いてみたが、かなりの筋力が必要でそうそうにイヤになってしまった。手術後、松葉づえ生活を数週間続けることになるのだろうが、それを思うと居たたまれない気分になった。

 家に帰ってから妻はアレを持ってきてとかコレを探してとかいろいろと注文をだすので、ついつい口喧嘩になってしまった。夕飯の準備をしているのに、それを考えずに自分のことばかり言っている妻につい口調は荒くなった。後から思えば妻も不安で仕方なかったのだろう。いろいろと僕に頼りたくなり、つい口に出してしまったようだった。言い争いで妻は涙ぐんだ。僕自身も妻の急な大けがによってパニックになっていた。

 僕を精神的に不安にさせた理由は二つある。一つは骨折による妻のその後の困難を思ったからだ。重症とはいっても、いつかは以前のように歩くことはできるようになるとは思う。しかし、それまでの長い道程を思った時、憂鬱になってしまうのである。手術、その後の長く苦しいリハビリ、不便な松葉づえ生活、そんなこと漠然と考えていたら、気分がどんどんと落ち込んでしまった。もう一つは経済的なことである。こちらの方は、限度額適用認定書の申請や、妻の入っている保険によって、かなりの部分が賄えるとは思うが、それでも実際にお金が出るまでは不安である。

 しかし、精神的にははるかに妻の方がつらい。病院から帰ってきた後、妻はペルーに住んでいる姉たちと電話で陽気に会話をしていた。その姿を見て、精神的にたくましいなと感心したが、不安の裏返しといった部分もあったようだ。ソファーで涙ぐむ妻の隣に座り肩を抱き寄せると「安心するね」と彼女はいった。(2021.2.1)




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