朝の通勤電車

 プラットホームに入線してきた電車に乗り込んだ。ここのところ蒸し暑い日が続いているので、マスクをつけるのは電車に乗ってからにしているのだが、空いているときなどはそのまま乗っていたりする。この日はそんなに混んでいなかったが、何となくマスクをつけて、車両の一番端に行き吊革を掴んだ。

 何故、そこにいったかというと、途中下車する人がいたからである。いつも同じ時間の同じ車両に乗っていると途中の駅で降りる人の顔を覚えてしまう。たとえ一区間だけでも座っていけるのは楽だ。その人の横には2〜3歳の女の子を膝の上に乗せた女性が座っていた。お母さんはマスクをしていたが、膝の上の女の子はマスクをしていなかった。スマホの画面を見て、お母さんにさかんに話しかけていた。

 僕自身、マスクをしたり、しなかったりだし、2歳未満の子供のマスクは危険という見解を日本小児科医会が発表したのを知っていたので、全く気にならなかった。まあ、大人がマスクをしていなくても、気にはならないのだけど。車窓から外の景色を見たり、吊革にぶら下がりながらウトウトしたりして、ふと視線を落とすと女の子は小さなマスクをしていた。

 車内に乗り込む時、僕はマスクをしていなかった。車内を歩きながら、バッグから取り出し付けたのだけど、お母さんはそれを見ていて、気を使ったのかもしれなかった。さらに、さかんに話しかける女の子に何度も「シー」といって静かにするように諭していた。その姿を見て、そんなに気を使わなくても大丈夫ですよといいたくなった。

 何度もお母さんに話しかける女の子、そのたびにお母さんは「シー」と静かにするように注意する。子供の成長の上で、あまりよくないことだ。親密、密接は子供にとって大切なものだと思う。コロナ騒動はウイルスそのものの深刻さよりも、、社会的な圧力が人の心に与える深刻さの方がはるかに深いように思う。コロナの症状より、コロナになることによって受ける社会的制裁の方が怖いという人の方がいいのではないだろうか?

 子供の場合、コロナに感染する確率はかなり低く、重症化するリスクも低い。そして、他者に感染させることも少なく、学校などでクラスターの起こることもまれだ。こういった基本的な情報を知っていれば、それほど神経質になることはなく、感染防止対策より、子供の健全な心身の成長の方へ重点を置いて学校を運営した方がいいと思うはずである。

 戦時中、防空壕に逃げ込んだ人の体験談を読んだことがある。赤ちゃんを連れたお母さんはどうしても避難が遅れ、後から防空壕に入ることになる。赤ちゃんが泣きだすと先に避難していた人たちから「泣かすな」「あっちへいけ」という声が飛んだという。そんな時、すぐに赤ちゃんの声はしなくなった。赤ちゃんが泣き止んだのではなく、お母さんは赤ちゃんの口を手で強く塞いだためだった。

 赤ちゃんの声がしなくなり、体験者の方は「よかった」と思ったという。これで、上空を飛んでいるB29爆撃機の操縦士に勘づかれることはないと思ったそうだ。しかし、爆撃機は上空8000mを飛んでいる。赤ちゃんの泣き声の聞こえるわけはないのである。これは戦争が終わり、冷静になって当時を振り返ってから思ったことだ。戦争により、人は変わってしまう。

 これと同じことが今、起きているように思う。(2020.7.4)




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