動く、待つ

 午後4時を少し過ぎたくらいに、小学校2、3年生くらいの女の子が職場の受付に来た。女性の社員が対応すると、家の鍵を忘れてしまって家に入れないという。それでパートで働いているお母さんに鍵をもらいに会社に来たそうだ。お母さんの名前を訊いて、アナウンスしたが入れ違いでお母さんは退社していた。

 女の子の帰った後、その可愛らしさが話題になったが、パートのSさんは小学校低学年で、お母さんを訪ねて会社までやってきたことに感心していた。というもの彼女の息子は中学校二年生なのだが、家の鍵を忘れた時に、一時間以上も家の前で待っていたという。そういうときは会社に来なさいといっていたそうだが、ただ待っていただけで、全く行動力がないと嘆いていた。「会社に来るのが恥ずかしいのなら、友達の家にでもいっていればいいのに」とお子さんの将来を危ぶんでいる雰囲気も伝わってきた。

 お子さんのことを思って「でも、動かない方がいい場合もあるんだよ」というと、「どんな場合?」と訊かれた。うーんと考えて、昔、電車の遅れた時のことを思い出した。当時、僕の職場は埼玉にあったが、通勤電車が信号機の故障で止まっていた。駅員に訊くといつ復旧するかわからいないという。20〜30分で復旧するというのなら待っていたように思うが、それ以上の時間のかかることも考えられ、遠回りになるが別の経路で会社に向かうことにした。

 会社に着くと、課長がやってきて「森はもう着いているぞ」と半笑いで話しかけてきた。森というのは同じ路線で通勤している社員である。さらに課長は「あいつはどん亀のような男だから、電車が止まっても動き出すまで、ずっと待っているんだ。お前は動いただろ?」といった。どうも電車は比較的早く動き出したようだった。そのことを話すとSさんはただ「ふーん」という感じだったが、よく考えてみると動くか待つかという問題は人生全般にかかわってくるように思う。

 例えば恋愛である。恋愛において動くか待つかという問題は永遠のテーマかもしれない。20代前半の頃、当時勤めていた会社の上司に「好きな女性を落とすには、押して、押して、押しまくるんだ」といわれたことがある。彼が本当にそのように思っていたかどうかはわからないが、いい加減にいっている雰囲気はなかった。何事につけ消極的な僕を思っての言葉かもしれない。

 また、これと似た言葉を付き合っていた女性の友人からいわれたこともある。「本当に好きならカッコなんかつけないで、自分の本当の気持ちを伝えなさい」といわれたのだが、僕は結局カッコをつけてしまい、はっきりとした気持ちを伝えることができなかったのだった。これらのことから考えると、待つよりも動いた方がいいということになるが、そう単純でもないような気もする。

 昨今では、押して、押して、押しまくれば、ストーカーともいわれかねず、結局、動くか待つかはケースバイケースとしかいいようがない。恋愛においては押すだけでなく、引くことも必要なことは確かで、かといってよほどの恋愛上手でなければ、その見極めはなかなか難しいように思う。

 一方、仕事においては、動いた方が圧倒的にいい結果につながると思う。恋愛においては待つことによって、相手の気持ちを高めるといった効果も期待できるが、仕事においては、動くかなければ状況は変わらないことが多いし、悪化することもある。待つというのは、よほど特別な場合に限られるのではないだろうか。ただ、動き過ぎると周りの反感を買ったり、煙たがれたりすることもある。それでも、やれることはやるといった姿勢でいた方がいい。

 親子や友達の人間関係の場合は、待つことが必要なケースも出てくると思う。特に親子関係は、動くことによって事態をこじらせて悪い方向へいってしまうこともある。子供に何らかの問題のあるとき、心身の回復するまでじっくりと時を待つことが必要なことは多い。

 動くか待つかという問題は、人生を左右する重要な判断である。動きに動き回っているうちに、事態が好転することもあれば、辛抱強く待ち続けているうちにいい方向に流れの変わることもある。その見極めは、大変難しい。僕の弟は会社を退職した後、引きこもりになった。家からほとんど出ず、就職活動など一切しなかった。二階の自室でCDを聴いたりして、一日を終えていた。

 やがて母の老後の貯金にまでに手をつけるようになった。しかし、母は何もいわなかった。何もいわなかったのは、何か信念があったわけではなく、うるさく干渉すると弟が怒るからだった。弟を恐れて、結果的に静観ということになったわけだが、母の貯金を使い込んだことが発覚して少ししてから弟は職を探すようになり、現在は真面目に働いている。

 結果的に待ったことが、功を奏したわけだが、別の選択肢もあったはずだ。引きこもりやニートの支援団体に相談し、強制的に家から連れ出し施設に入所させるなんていう荒業も考えられなくはなかった。そうした場合、果たしてどうなっていたか、それは推測の域を出ないが、反対に曲がってしまった可能性も有りえたと思う。もちろん、より早く立ち直ったことも考えられる。

 僕の好きな競馬では待つか動くかという局面が頻繁にある。待ったために、差し切れなかったり、逆に早めに動いたために後ろの馬に指されるなんていうことはざらだ。その判断の是非は全て結果によって決まる。

 ただ、実生活では競馬のようにすぐに答えは出ない。動いたり、待ったりしてその良し悪しがわかるのは、かなりの時間の経過を必要とすることも多い。僕自身、動いた方がいいのか待った方がいいのか、現在も悩んでいる。(2020.2.8)




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