桜桃

 太宰治の小説に桜桃というものがある。小説の中にも出てくるが、これは夫婦喧嘩の小説である。主人公は家族を思いながらも、家庭の中でうまく振舞うことができず、妻と気まずい関係を続けている。主人公は太宰自身であるが、この中に「一部の読者、批評家の想像を裏切り…(中略)…出ていけ、出ていきます、などの乱暴な口争いをしたことさえ一度もなかったし…」と家庭の普段の様子を描写している箇所がある。実は最近、僕は妻に向かって「ペルーに帰れ」といってしまったのである。

 発端はまことにくだらないことだった。家の玄関には妻のガーデニングに使われている道具が置かれていて、ごちゃごちゃした感じになっている。そこで、玄関用のベンチにもなる物入れを買うことにした。妻はいろいろとカタログをみて、ようやく買うものを決め、その代金の半額を僕が持つことになった。しかし、12月はいろいろと支払いが多く、また昨年暮れから続く慶弔の出費により、経済的には苦しい状況だった。

 12月はNHKの受信料も払わなくてはいけないし…などと、お金を出すことを未練がましくいうと、妻は受信料なんて払わなくてもいいじゃないといった。払わないで済めばそれに越したことはなく、とぼけようとしたこともあったが再三の催促を受け、その圧力に屈してしまったのだった。アンテナも立っているし、テレビを持っていないという言い訳は通用しないだろうというと、妻は「テレビなんて止めてしまえばいい」と言い出した。

 極端なことをいう妻に腹が立ってきて、玄関用の収納は急ぎではないのだから、支払いの多くなる12月ではなく、時期をずらしてもいいのではないかと一度は買うことを承諾したのに話を蒸し返してしまった。すると今まで募っていた妻の不満が噴出し、僕の収入の低いことや家に入れる金額のことを言い出した、双方、言い合いの中で言葉がだんだんと鋭くなっていき、つい「そんなに不満ならペルーに帰ってくれ」といってしまったのである。

 もちろん僕としては本気ではなく、売り言葉に買い言葉からでたものだったが、この一言は妻を深く傷つけた。もともと妻は日本である程度働いたらペルーに帰って、サチコの経営するパン屋さんを手伝うことになっていた。しかし、僕と結婚したため日本で暮らすことになったのだった。サチコはガンを患い克服したが、その後いろいろな合併症を発症して今年の始めに亡くなった。それにより妻は自分の選択に負い目を感じていたようである。

 日本で幸せに暮らしているのならサチコに対して顔を向けられるが、夫から「ペルーに帰れ」といわれ、自分の選択は何だったのかと悲しくなったようで涙を流し始めた。玄関用の物入れは1万円程度のもので、それでグダグダ言われなくてはいけないという状況にも妻は愛想の尽きる思いがしたようだった。

 「ペルーに帰って実家のパン屋を手伝う」というお姉さんとの約束を反故にして、僕と結婚して十数年、この年月は一体何だったのだろうという虚しい思いが胸の中いっぱいに広がったのだと思う。さすがに言い過ぎたと思った僕はすぐに謝ったが、妻の傷ついた心はそう簡単に治るものではなかった。翌日から、満足に口をきいてくれなくなった。このような状況はお互い疲れるので、夜にじっくりと話し合おうと思った。

 しかし、妻の精神状態はよくならず、独りでいろいろと考え続け、悪い方向へと流れていった。話し合いに応じようとしない妻に「これから、どうしたいの?」と訊くと「わからない」という答えが返ってきた。これは本心だったと思う。僕だって、ケチなしみったれオヤジというだけではない。吝嗇は将来のことも考えてのことなのである。悪い方向へ向かっている妻の思いを変えなくてはならない。

 毎年、旅行に連れて行っていること、健康のことを思って料理を作っていること、そして、先のことを考えて節約していることなどを話した。現在住んでいる家は築30年を超え、これからいろいろと不具合の出てくることは容易に想像できる。今はふたりともそれなりに健康ではあるが、いつ病魔に襲われるかはわからず、保険に入っているとはいっても、当面のお金は必要になるし、さらに高齢になり年金生活になったとき、果たして年金だけで暮らしていけるのかという不安もある。

 そういった様々なことに思いを巡らすと、どうしてもお金を使うことに慎重になってしまう。欲しいものがあれば、我慢せずに買った方がいいと思う。しかし、家の経済状態を考えるとブレーキを踏まざるを得ないのだ。そういったことを淡々と話すと妻の態度も変わり、話を聞くようになり、何とか最悪の状況は回避された。

 夫婦喧嘩の原因はお金であることが多い。うちもほとんどがお金に関する言い合いだ。喧嘩の材料を減らすためには、収入を増やすしかないのだろうが、生活のレベルが上がったとしても不満のなくなることはないように思われる。となると欲望を抑え、現状で満足することを覚えなくてならない。しかし、向上心の失われる恐れもある。欲望があるから、努力するという一面もあるからだ。

 現に物欲の少ない僕は日々をのほほんと過ごしているが、物欲の強い妻は積み立てNISAを始め、不動産投資まで勉強している。ともかく幸せを感じるには、あるところで満足しなくてはならない。しかし、そのあるところの折り合いの付け方が難しい。どうやって折り合いをつけたらいいのだろうか?(2019.12.8)




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