子供の歩き方

 朝、通勤時に小学校に通う子供たちとよく会う。子供たちの通う小学校と駅が同じ方向にあるから、同じ道をしばらくの間歩くことになる。子供たちの歩き方は、面白い。右へ行ったり、左へ行ったり、虫を見つけたといって立ち止まったり、車に轢かれてペチャンコになったカエルをしゃがんで見つめていたり、そうかと思うと突然走り出したり、友達と鬼ごっこを始めたり、真っ直ぐ歩き続けるという姿はあまり見ない。

 以前に住んでいたところで、近所の子供と一緒に駅まで通ったことがあった。その子は小学校一年生で、家が駅までの道順にあり、駅に向かう時間帯が同じくらいだったため、顔を合わせることがあり、徐々に親しくなっていった。全く知らない子供だったが、不思議なくらい僕になついた。駅から電車に乗っていたので、私立の学校に通っていたと思う。

 その子はあっちにふらふら、こっちにふらふらということはなかったが、駅までの道程で目にする漢字を読んで僕に教えた。それは、お店や電柱の付けられた看板が多かったが、小学校一年生にしては驚くほど漢字を知っていて、僕は感心したのだった。また、わからない字は僕に訊いて、覚えようとしていた。家族で出かけた時など、両親から「あの字わかる?」とか言われて、覚えていったのかもしれない。

 もう遠い昔になってしまうが、自分の小学生時代を思い出すと、朝はいつもぎりぎりに家を出ていたので、現在、見かける小学生のようにふらふらはしていなかったが、帰りは真っ直ぐ家に帰るということはまれで、よく道草をしていた。橋の上から橋と平行に走っている水道管に石を当てたり、他人の家の呼び鈴を押して逃げたりとロクなことをしていなかった。

 通勤では子供の他、多くの大人たちとも会う。彼らは子供たちとは逆で、見向きもせず一心不乱に満員電車に乗るため、駅へ急いでいる。中には前を歩くものを抜かずにはいられないといった人もいる。まるでレースのようだ。離れた目で見ると、それは異様な光景で、僕たちは半分おかしくなっているのではないかとさえ思う。まあ、大の大人があっちへふらふら、こっちへふらふらでは不審者として通報されてしまうかもしれない。

 土曜日、馬券を買いに朝早くから駅に向かった。しばらく歩くと、前を老夫婦が歩いていた。道行く家の庭には椿や梅の花が咲き、ふたりはそれを鑑賞しながら、ゆっくりと歩いていた。やや北風が強く、「風が冷たいね」と夫が言うと、「風はほんとにイヤだね」と妻が答えた。

 ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが、深夜特急の旅を振り返ったエッセイの中で、旅先で相手をしてくれたのは老人と子供たちだった、なぜなら彼らには時間があったから…と書いている。時間を無くした大人たちは、周りを眺めるゆとりも失ってしまうのかもしれない。(2019.3.7)




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