ボヘミアン・ラプソディ

 現在、話題になっているクイーンのフレディ・マーキュリーの生涯を描いた映画ボヘミアン・ラプソディを妻と観に行った。この映画、昨年の12月中旬くらいに妻の従妹のメグから「素晴らしい映画だから観に行って!」と強く勧められていたのだが、僕はともかく妻の方がいろいろと忙しく延び延びになっていた。

 映画はフレディがアフリカ難民救済のためのライブエイドのステージに出ていく後ろ姿から始まる。そして、カットが切り替わり、空港で働いていた頃からの人生を描いていく。フレディはペルシャ系インド人の家庭で生まれた。そのことでパキーと呼ばれたりする。彼はロックスターを目指すうえで、自身のルーツはマイナスと考えたようで名前を正式に変えてしまい、インド人であることを誇りに思っている父親と対立する。

 ライブハウスでブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと知り合ったフレディは、ベースのジョン・ディーコンを加え、イギリス各地の大学で演奏を行い、車を売ったお金で自主アルバムを制作し、それがEMIの担当者に見いだされ、メジャーデビューに至る。

 僕がリアルタイムでクイーンを知ったのは「伝説のチャンピオン」が最初だった。胸の大きく開いた白と黒の全身タイツで歌うフレディを気持ち悪いといっていた友達もいたが、僕は曲が気に入りシングル盤を買った。しかし、その後は劇画的なクイーンの音楽に入り込めず、ラジオから流れてくる曲を聴くくらいになっていた。ただ、音楽の多様性にはいつも驚かされていた。この映画を観てメンバーの4人全員が作詞・作曲を行っていたことを知り、納得した。

 映画が進むにつれ、フレディの悲しい側面が現れてくる。現在は性的マイノリティへの差別はだいぶ減ったと思うが、当時はまだ好奇の目で見られることが多かっただろう。ライブハウスで知り合い結婚したメアリーとも、そのことが原因で別れてしまう。自身の家族を持てないフレディは寂しさを紛らわすため、夜な夜な派手なパーティを開く。しかし、いくら多くの人を集めたとしても、彼の孤独は癒されることがない。

 やがて、音楽面でもバンドのメンバーと対立し、彼はクイーンに籍を残したままソロアルバムの制作に取り掛かる。フレディをコントロールするのはクイーンのときからの付き人だったポールで、彼は公私ともにフレディのパートナーとなり、メアリーやメンバーからの伝言を独断で握りつぶす。

 連絡の取れなくなったフレディを心配し、メアリーが訪ねてくるが、フレディは酷いことをいってしまう。帰ろうとするメアリーは追いかけてきたフレディに、「あなたに本当に必要な人はここにはいない。あなたのことを本気で心配しているのは、バンドのメンバーよ」と言い残す。この言葉によって目の覚めたフレディは、ポールを解雇、クイーンへの復帰を希望し、メンバーも彼を受け入れる。そして、生涯のパートナーとなるジム・ハットンと出会う。だが、彼はすでにエイズに蝕まれていた。

 映画のラストは伝説となっているライブエイドを忠実に再現した映像である。フレディは自身のことをパフォーマーといっており、その言葉通り圧倒的なパフォーマンスをみせる。レコードでは素晴らしかったアーティストが、ライブでは見劣りしてしまうということはよくあるが、クイーンはそんなことはない。凝りに凝った音作りをする一方、ライブでのパフォーマンスも一流だったことがよくわかる。

 ボヘミアン・ラプソディは、週ごとに興行成績が伸び続けており、興行収入も100億円を突破した。何故、ここまでの大ヒットになったのであろうか?映画を観て、たいへんバランスの取れた作品だと思った。映画の前半はロックスターを目指す青春映画のようであり、映画の進むにつれフレディの性的マイノリティの影が強くなるが、行き過ぎることはない。実際にはかなりスキャンダラスであったと思われる性と薬の問題も節度を持って描かれている。

 また、「ボヘミアン・ラプソディ」の録音現場の風景や、「ウイ・ウィル・ロック・ユー」や「地獄へ道連れ」などの誕生秘話もあり、興味深く観ることができる。そして、家族と表現されるメンバー同士の仲の良さが、映画に暖かさとユーモアを与えている。映画のハイライトのライブエイドの迫力ある映像は感動をもたらす。つまり一本の映画でありながら、青春映画、性的マイノリティの孤独と差別の問題、ロックグループの舞台裏のドッキュメンタリー、そしてライブ会場の臨場感といろいろな面を持っている。

 クイーンのファンならもちろん、クイーンをこの映画で知ったという若い世代も楽しめる作品である。(2019.2.2)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT