夕暮れの坂道

 妻とつい先日会社を辞めたパートのMさんの展示会に行くため、JR根岸線の石川町駅で下車し、会場に向かった。元町の商店街はクリスマスの飾りつけで華やかな様相を呈していた。通りでは、ダンスパフォーマンスやピアノのリサイタルなどのイベントも行われ、足を止めて興味深く見た。

 戦場のメリークリスマスの演奏を後ろに聞きながら、妻は洋品店の店頭に陳列されていたバッグに見入っていた。ポリエステル製でポシェットのような小さなものとA4サイズのものが入るくらいのものと二種類あり、また、色もピンクとパープルとブルーがあった。

 値段の安かったため、妻はすっかり買うつもりになっていた。そんな気持ちを見越してか、初老の女性の店主が店の中から出てきて、中でゆっくりと見てくださいと店内に僕たちを招き入れた。店主は女性だったら、小さな方がいいんじゃないですかとポシェットの方を勧めた。妻も小さな方がちょっとした外出時には便利なため、気持ちは傾いていたが、大きな方も捨てがたい気がしているようだった。

 大きい方は男性の方がよく買っていかれますよと店主は、暗に僕の購買意欲を刺激するような言葉を投げかけてきた。妻はバッグの大きさだけではなく、色でも迷っていた。パープルがきれいだが、ブルーも自分の持っている洋服と合わせやすいといった。店主はまたブルーは男性の方が似合うと思いますよと僕にメッセージを送ってきた。

 妻は迷ってなかなか結論が出せないでいた。「それだったら、二つ買っちゃえばいいじゃない。大きな方は俺がお金を出すから」と僕はいい、結局、パープルのポシェットとブルーのバッグを買った。店主の思惑にはまってしまったのである。二つとも妻のものだが、妻の使っていないときはブルーのバッグは僕が使うということにしてもらった。「本当は自分で使いたいのでしょう?」と妻は言った。「いや、使っていないときだけでいいよ」と僕は言ったが、妻のいったことは図星だった。

 クリスマス前の街は、浮かれていてなかなか足が進まない。あちらの店、こちらの店とふらふらしているうちに4時を過ぎてしまった。本日の本当の目的はMさんの展示会である。その展示会は5時までだから、そうそうゆっくりもしていられないのだった。

 Mさんはイラストレーターだが、バイオリンも弾くという才女である。ただ、イラストだけでは生活できないので、パートとして同じ会社で働いていたのだが、仕事上でイヤなことがあり、退職したのだった。展示会場は山手迎賓館の横の谷戸坂の途中にある山手ギャラリーで行われていた。Mさんだけでなく、数人の作家さんがクリスマスをテーマにした作品を展示、販売している。

 山手迎賓館を過ぎ、谷戸坂に入った頃には冬の短い日はすっかり傾き、辺りは薄暗くなっていた。港の見える丘公園に繋がる谷戸坂も人影はまばらで、暗い坂を一歩一歩登っていくと、寂莫とした思いになる。地理に疎い妻は、本当にこの寂しい坂道にギャラリーがあるのか、何度もMさんからもらった葉書を見直し、僕に訊いてくる。「この道で間違いないよ」と安心させ、遠くに見えるカーブを示し、「あの辺りにはずだ」といった。

 その辺りには、それらしい白い低層の鉄筋コンクリートの建物が見えるが、暗くて看板はよくみえない。歩を進めていくと、Art Gallery山手の表示を確認することができた。二階の展示会場に入るとMさん他数人の人がいた。Mさんは中年のややお腹の出た男性を話し込んでいたので、軽く会釈を交わし展示されている作品を見て回った。

 樹脂粘土やステンドグラス、切り絵、点描画、イラスト、アクリル画など様々なアートが展示されていた。係員らしい女性や実際の作者が、それらついて作り方を説明してくれた。樹脂粘土は金太郎飴と同じ製法で作るなど、興味深く聞いた。点描画は作者がいて、いろいろと話を聞けた。どれも素晴らしい作品で、気の遠くなるような作業を経て完成されており、一点欲しかったが価格が高く、手が出ない。

 Mさんの作品は猫をテーマにしたイラストでアクリル画は手が出なかったが、メガネ拭きやクリアファイル、手帳などは気軽に求められる金額だったので気に入ったものを買った。彼女の作品の完成度の高いことに驚いたが、一番びっくりしたのは彼女の表情が会社にいるときと一変していることだった。

 会社では常に暗く厳しい顔つきをしていたように感じたが、この会場ではにこやかで生き生きとした表情をしていて、別人と思えるほどだった。やはり、人は好きなことをしていた方が健康的になれる。現在、イラストだけで生活するのは厳しいそうで、また、アルバイトを探さなくてはいけないようだが、少しでも自分に合った職場に巡り合えたらいいなと思った。(2019.1.1)




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