駅舎

 妻のすすめで、久しぶりに母に会いにいった。昨年の春、家を買ってから、距離的に遠くなったということもあり、足が遠のいていた。また、日本に住んでいる妻の親類は、ほとんど新居を見に来たのだが、私の母と弟はまだ来ていなかった。六月くらいに、妻が強く誘ったこともあり、母も重い腰を上げようと思ったようだが、間近になってキャンセルになった。そんなことがあり、何となく、気まずい空気が流れていて、妻が強く私に実家に行くようにすすめたのである。

 主だった家事を済ませた後、実家に向かった。実家までは、だいたい一時間半くらいである。実家の最寄駅に着き、何か手土産を…と考え、はじめは水羊羹にしようと思っていたのだが、歩いているうちにスイカが頭に浮かび、駅近くのスーパーで買い、持っていった。

 実家に着き、呼び鈴を鳴らすと母が出て来て、スイカを渡すと、笑い出した。母も同じスーパーでスイカを買っていたのである。弟もいることだし、余ることはないと思ったが、弟は、あまりスイカは好きでないという。弟がスイカを好まないという記憶はなかったが、或いは大人になってからのことかもしれない。

 母は八十を超えた現在も知り合いの町工場に、二週間に一度くらいの割合で行って、手伝いをしている。しかし、昨年、長年仲良くしていた友人が亡くなってから、外に出る回数がめっきりと減ってしまったそうだ。「今は暑いから、あまり出歩かない方がいいと思うけど、涼しくなったら、外に出た方がいいよ」というと、「なんかYさんが亡くなってから、面倒臭くなってね」といった。

 「Hのところにも、秋になったら、いこうとおもっているのだけどね」と母はいった。実家から私の家までは、電車三本とバス一本を乗り継がなくてはならず、なかなか腰を上げられないのだろう。「この前、テレビでやっていたけど、長寿の人たちは、肉をたくさん食べているらしいから、たまにはトンカツとか食べた方がいいようだよ」というと、「もう、肉はねえ」と笑った。ただ、弟と同居しているので、以前、一人で暮らしていた時よりは、食べるようになったという。

 この日、弟は仕事で、帰ってくるのは、夜十時ちかくなので、ふたりで夕食を取った。メインはカジキマグロにカレー粉をまぶして焼いたもので、僕だけにニンジンの豚肉巻きが付いた。食後にスイカを食べ、八時くらいに帰路についた。

 昼間は蒸し暑かったが、外は夜風が気持ち良かった。駅に着くと、電車はいったばかりだった。この駅舎は、自動改札になったのと、電車がワンマン運転になった関係で、ホームに柵が設けられたくらいで、私の子供の頃と基本的なところは変わっていない。

 ホームにある長いベンチも昔のままだ。このベンチは、腰を下ろす部分のお尻の方が低くなっていて、それに合わせて背もたれの角度なども計算しているのだろう、やけに座り心地がいい。

 ベンチに座り、電車を待っていると、子供の頃のことが思いだされた。よく考えてみると、線路を超えた所謂「線路向こう」の記憶があまりない。一度、友達の家に行ったくらいで、どんな風景があるのか、知らないことに気づいた。子供の行動範囲は、思いの外、小さいものだなと思ったが、後楽園球場から歩いて帰ってことなどもあり、あまり縁がなかったということなのかもしれない。昔のままの駅舎にいると、懐かしい気分になり、やけに昔のことが思い出された。

 三両編成の電車がホームに入線してきた。電車の中も人はまばらで、容易に座ることができた。この電車は、昔はいもむし電車と呼ばれ、緑色一色だったが、現在は銀色のステンレス製に変わっている。空いているシートに腰かけると、あまり座り心地はよくなかった。(2017.8.14)




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