妻の帰国 米寿編

 ペルーに住んでいる妻の母の米寿を祝うため、妻と妻の姉、その姉の二人の息子がペルーに行くことになった。その第一陣として、妻と下の甥っ子が今週の月曜日、成田へ向かった。僕も休みをとって、成田までふたりを見送るため同行した。

 しかし、当日は暴風が吹いていて、果たして飛行機は飛べるのだろうかと心配になるほどだった。東海道線は30分以上も遅れていたが、上野からの京成線は、ほぼ時刻表通りの運行だったので、このときは欠航というようなことはないだろうなと胸を撫で下ろした。

 15時過ぎに成田空港第2ターミナルに着いた。まず、宅急便で送っておいた妻の荷物を受け取り、アメリカン航空のチェックインカウンターにいくとダラスフォートワース行きのAA60便のチェックインは、中断されていた。悪天候により、飛行機が成田に降りられるかどうかわからないという。再開されるまでには、かなりの時間がかかるといわれた。

 ただ、待っていても、仕方ないので、チェックインロビーから、ひとつ上がった4Fのカフェ&ダイニングコートで、食事をとった。昼食のつもりでとった食事だったが、これが夕食になってしまった。

 食事をしているとき、面白い光景をみることができた。一階下のチェックインロビーから、ふざけているような奇声が聞こえてきた。すると、食事をしていた外国人は、ダイニングコートの壁際までいって、身を乗り出して何が起きているのか下の様子を覗う人が多かったのに対して、日本人は、そういう行動をとった人はなく、みんな黙々と食事を続けていた。

 これは、外界に対しての、興味の度合いを示していると思う。今回は、誰かがふざけていただけだから、問題はないが、これがもしテロのようなことだったら…と思うと、何が起きているのか確かめ、適切な行動をとるといったことが必要になるわけで、外界に対して無関心だったら、自分の身を守ることはできないだろう。僕を含めて日本人は、平和ボケといわれても仕方ないような光景だった。

 食事を終え、またチェックインロビーに降りたが、状況は変わらないままだった。妻が係員に訊きにいったが、「もう、少し待ってください」といわれただけだった。しかし、ニューヨーク行きの便は、チェックインが始まっており、遅れてはいるが、そのうち再開されるだろうとこのときは思っていた。

 とにかく、飛ぶか飛ばないか、その結果を見ないうちは帰れないような気分になっていた。18時を過ぎた頃、「AA60便は、成田空港上空を旋回しているが、悪天候のため、着陸できない。もう、しばらく様子を見て、状況によっては羽田に向かう。羽田に向かった場合、成田に引き返すまで、最短でも一時間かかるため、一時間後に、再び状況を知らせる」というようなアナウンスが入った。

 妻から「明日、仕事だから、もう帰った方がいいよ」といわれた。妻ひとりだったら、‘帰る’という選択肢はなかったと思うが、幸い甥っ子がいっしょなので、残念だが帰ることにした。空港にいたときは、わからなかったが、電車に乗り、ターミナルビルから地上に出ると、横殴りの雨が車窓を叩きだした。果たして、これで飛べるだろうか?と心配になった。

 電車の中で妻からのメールが届き、便が欠航になったことを知った。航空会社からはディナー券2500円分は出たが、宿泊費はでなかったそうだ。成田市内にホテルをとったが、電車が動いていなかったため、結局、空港のベンチで寝たという。

 僕が、家に着いたのは9時過ぎだった。京成線は、多少遅れていたが、まだ動いていた。ただ、東海道線のダイヤが大幅に乱れていて、時間がかかってしまったのである。疲れで、夕飯を作る気力もなく、結局、昼食のつもりでとった食事が夕食ということになったのである。

 翌日、17時、妻は無事、甥っ子といっしょにペルーに向かって旅立つことが出来た。(2017.2.25)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT