バスに乗って

 JRに乗り、会社の最寄駅で降りて、徒歩で職場に向かう途中のバスターミナルに、電車が多少、早く着いたときなど、家の近くのバス停までいくバスの待っていることがある。そのようなとき、無性にこのバスに乗って帰りたい気持ちになる。

 このバスを通勤に使えれば便利なのだが、朝はうちの方から出ている本数がほとんどなく、使えないのである。仕事の終わった後、例えばお米など買物をして、荷物の多いときなどには、たまに乗ることがある。帰宅時には、だいたい三十分に一本の割合で出ているので、時間に気をつければそれほど待つこともない。かかる時間は、電車が四分なのに対して、バスだとだいたい三十分くらいかかるが、歩く時間を勘定にいれると、家までの時間はそれほど変らない。また、バスだと確実に座っていけるし、いつもと違う風景もみられ、長い時間乗っているので、のんびり気分で楽しくなる。朝、駅のバスターミナルに、このバスが停車していると、反射的に乗りたくなってしまうというわけである。

 会社にあまり行きたくないという気持ちもあるが、延々と続く日常の閉塞感を叩き割りたいというほうが強いかもしれない。もちろん、そんなことをしても、閉塞感を打ち破ることなどできず、せいぜい小さなヒビを入れるくらいのもので、微かな逃避感を一時的に味わうだけだろうが、通勤時にみかけるこのバスは、とても魅力的に見えるのである。

 もし、このバスに乗って、会社をずる休みしたら…。まず、バスの中から、会社を休む適当な理由をでっちあげ、上司に携帯で連絡を入れる。そして、家の最寄のバス停で降りる…、いや、何も、もう、その日一日は自由なのだから、そこで降りる必要はない。終点まで行ってしまっても、いいわけである。そして、終点まで行ったら、そこからまた別のバスに乗り換え、さらに西を目指す…、そして、また…とまるで路線バスの旅のようなことを夢想してしまう。

 そういえば、昔、付き合っていた彼女とドライブに出掛け、その帰り、高速に乗るインターのところで、よく彼女は東京と反対方向の入口を僕に告げた。例えば伊豆辺りで遊んだ帰り、沼津のインターから東名高速に乗って東京に帰ろうとすると、「名古屋」などと帰る方向とは反対の入口を口走り、何となくそちらに行きたい感じを出していたのである。

 もちろん、彼女の指示に従って、反対方向に車を走らせたことはなかった。一度、彼女にいわれたことに乗り、「それじゃー、名古屋に行ってみる?」と訊いたことがある。このときは、翌日が日曜日か祝日で、ふたりとも休みだった。しかし、彼女は、「明日は、会社の野球大会の応援にいくことになっているから」とつまらなそうにいい、興ざめした僕は東京方面のスロープに車を向かわせた。今、思うと、一度くらいはやってみてもよかったかなという後悔のないわけではない。もちろん、そんなことを実際にしたら、彼女は、戸惑い、場合によっては怒ったと思う。しかし、もしかしたら…

 朝のバスについても、乗りたいという願望を覚えながら、実行できないでいる。それは、心の奥で、結局、日常は壊せないと諦めているからだろうか?それとも、日常を壊すことへの怖れからだろうか?(2015.7.28)




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