寿町を歩く

 土曜日の朝、前々から行ってみたいと思っていた寿町を歩いた。前にも書いたが、僕はドヤ街というものに興味があった。誰でも、深く沈殿することのできる街は、どんなものか見たかったのである。

 石川町駅を出て、中村川に架かる亀の橋を渡り、川沿いに歩き、翁橋の通りから寿町へ向かった。すぐに長屋の立ち並ぶ独特の街並みが見えてきて、通りを挟んでその反対側には寿町総合労働福祉会館があった。まずは、寿町のランドマーク的な総合労働福祉会館の周りを歩いてみることにした。

 比較的、早い時間帯だったためか、人はあまりおらず閑散とした雰囲気だった。建物の南側に回り込むと、二階部分の手すりは、住人たちの洗濯物の干場になっているようで、作業服の上下などがびっしりと干されていた。そして、会館内にある翁湯に通じる入口付近の日陰には、男性が一人、寝転がっていた。会館の一階は、雨を防げることもあり、ホームレスの人たちが暮らしている。

 ゴミ置き場には、テレビや冷蔵庫、机や業務用のコンロなど、不法投棄されたようなものが大量に置かれていた。24時間監視中という貼紙もされていて、何となくぼんやりと見ていると、五十代後半くらいの肉体労働者風の男が、ふらふらとやってきて、捨てられていた冷蔵庫の側面に黒のマジックペンで、林君・マリコさんの相合傘を描き、離れていった。面白かったので写真に撮ろうとカメラを構えると、またやってきて、こんどはその横に‘とんずら’と書いて何処かに行ってしまった。その男の飄々とした感じから、三人の関係が湿っぽいものではなく、男が寿町を離れた二人を祝福しているような気がした。

 労働会館を一周し、次は会館裏手の長屋風の家屋の立ち並ぶ一帯を歩いた。一階部分は、居酒屋やスナックなど店舗になっていて、二階が住居だった。まだ、十時だというのに、すでに開いている店もあり、開いた入口から中を覗くと、客が入っていた。寿町では、朝から酒を飲むことは、普通なのかもしれない。

 長屋と長屋の間には狭い路地が縦横に走っている。その路地にも、スナックや居酒屋が並んでいた。たまたま、間口の大きく開いていた店があったので、中の様子はどんなものだろうと覗いてみると、店の主人と思われる中年の男が一人、テレビの競馬中継を見ていた。店内は居酒屋のわりには、テーブルもなく殺風景で、ひょっとしたら、ここは競馬のノミ行為を行っている店ではないかと思った。

 今度は、労働会館の正面、寿町のメインストリートともいえるところにいってみた。労働会館正面の十字路付近には、居酒屋やスナック、立ち飲み屋などがひしめいており、その上層は簡易宿泊所になっている。多くの人たち、主に老人だが、通りに出ていておもいおもいの過ごし方をしていた。歩道に置かれた椅子に腰かけている人、道端で談笑している人など、それぞれ、ゆったりとした時間の中で暮らしているようだった。

 通りを歩いている人も多かった。それも道路の端に申し訳程度にある歩道ではなく、車道をのんびりと歩いていた。そして、彼らは、ほとんどお年寄りなのであるが、例外なく、体の何処かが悪いようなぎこちない歩き方をしていて、杖をついている人や、車いすの人、手押し車を押している人なども多く見られた。長年の過酷な肉体労働の遺したものなのかもしれない。今では、その日雇い労働の求人はほとんどなくなり、そして、リーマンショック以降、派遣切りなどで生活の困窮した人が、安い住居を求めて寿町に流れているそうで、日雇い労働者の街から、高齢者、生活保護受給者の街へと変って来ている。

 そのため、ドヤの建て替えや改築が進んでいる。エレベータを備えた冷暖房完備の鉄筋コンクリートに建て替えられたり、古い簡易宿泊所でもバリアフリー化が進んでいる。現在、寿地区(寿町二丁目から四丁目、松影町二丁目から四丁目、それに扇町の一部)には121軒の簡易宿泊所があり、その総部屋数は約8600室である。住人は6500人ほどだというから、2000室以上が空室になっている。

 そこで、寿町全体で、ビジネスマン、旅行者などの短期宿泊者を呼び込もうという横浜ホステル・ビレッジという計画が進められている。わずか0.06平方キロメートルの範囲に、121軒もの簡易宿泊所があるのだから、存在的なポテンシャルは大変高いように思われる。将来的には、街の様相が一変する可能性もある。

 実際に歩いてみて、ネット上にある寿町のレポートと随分と違った印象を持った。まず、‘ゴミが散乱し、寿地区に入ると異臭がする。ゴミ収集車にも見放された地域なのか’というようなものをよく目にするが、これは完全な間違いとはいえないまでも、かなりの誇張と誤謬がある。

 まず、ゴミが多いというのは確かである。しかし、これはちょっと考えれば当たり前のことなのだ。わずか0.06平方キロメートルの地域に120もの簡易宿泊所があり、そこで6500人もの人が生活しているのだから、大量のゴミが出るのは当然なのである。ゴミ収集車は他の地域と同様に来ているが、回収が追い付かないというのが現実だと思う。

 そして、もうひとつは‘治安が悪い’というものである。‘歩いているだけで、好奇の目で見られた’‘半裸、全裸の男たちが普通に通りにいる’‘ノミ行為の行われている酒場がある’‘犯罪者が潜伏している’など様々なことが書かれている。これらを、全て否定することはできないが、少なくても、僕が歩いてみたかぎりでは、余所者ということで警戒されるとか、好奇の目で見られるとかいうことはなかった。まあ、僕自身、首の広がったよれよれのTシャツに、はき古したジーンズ、サンダルといった格好で、デジカメを持っていること以外は街に溶け込んでいたのかもしれない。それに、通りを歩いている人の多くは高齢者だから、身の危険を感じるなどということはまるでなかったし、街のあちこちに仲のいい人同士、談笑している姿が見られたりして、むしろ穏やかな街という印象を持った。ただ、街には酒場が多く、昼から店を開けているので、飲酒によるトラブルなどはあるかもしれない。

 街の空気感は独特のものがあった。あくせくしている人がおらず、通りでのんびりと過ごしている人たちを見ていると、時間の流れがここだけ、違うように思えてくる。人間にとって幸せとは、何だろうと思ってしまった。(2015.5.31)




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