大晦日の夜、元旦の朝

 大晦日、妻は美容室に行き、いつ帰ってくるかわからないため、先に行くとメールして、一人で弟の家に向かった。弟の家に着くと、弟は仕事のため、家におらず、母と炬燵に座り、弟のことや健康のことなど、いろいろと話した。

 美容室の混んでいるためか、妻がなかなか来ないので、母の買っておいてくれた梅酒を、酢ダコをつまみにチビチビと飲んで待った。この梅酒、糖類ゼロ、カロリー60%オフということで、母は甘くないのではないかと心配していたが、そんなことはなく、程良い甘さで口当たりがよく、知らぬ間に量が増え、かなり酔ってしまった。

 5時過ぎにようやく妻が到着した、美容室だけでなく、じゃがいもを使ったペルー料理のパパラワンカイーナを作っていたため、遅くなってしまったようだったが、酔っていた僕は「遅くなるなら、連絡くらいしろ」と強い口調でいったため、母の前で夫婦喧嘩のような状況になった。

 喧嘩も、母と妻は夕食の準備をするため、台所にいってしまったため、立ち消えになり、しばらくすると、母が勤め先の町工場の社長からいただいたというタラバカニを使った鍋が出来てきた。この鍋は、うまかった、タラバガニは食べ応え十分で、ピリ辛のつゆと合っていた。妻の作って来たパパラワンカイーナも、最近じゃがいもにはまっているという母には、うれしかったようで、美味しそうに食べていた。

 30日に妻と城ケ崎海岸に行き、そのときに買った夏ミカンのワインも美味しく、食事も進んだ。9時半過ぎに弟が帰って来て、カニの一人鍋が用意され、母にはあまり勤め先のことはいわないようだが、妻や僕がいろいろと訊くとわりと素直に答えた。勤務形態は、結構、不規則らしく、昼、昼、夜、夜、休というわけでもないらしいが、夜勤が2日連続することは月に3回程度だという。ただ、夜勤の方が、一人で作業できるため、精神的には楽らしい。それほど、きつい人間関係もないようで、何とか続きそうな感触を覚えた。

 11時過ぎ、弟の家を出て、自宅に向かった。家の近くには、大きなお寺のあるため、初詣の参拝客が多くいた。お寺の参道には、深夜にも関わらず、出店が並び、活気づいていた。お寺の開門を待つ、長蛇の列が本殿の前に出来ていた。12時になると、ホラ貝が鳴り、開門するらしい。僕と妻がちょうど、お寺を出る頃、背後からホラ貝の音が聞こえてきた。

 疲れを感じていたので、家に着いて、すぐ床に入った。除夜の鐘が遠くから聞こえて来て、しみじみとした気分になったが、梅酒と夏みかんワインを飲み過ぎたせいか、なかなか寝つけない。しばらくして、テレビを見ていた妻も床に入り、寝息を立て始めたが、いろいろな考えが頭に浮かんで、目は冴えるばかりだった。これからのことを思うと、暗いことばかりが想像され、ため息ばかり出た。枕元にある時計を見ると、3時を過ぎていた。

 気分を変えるため、近所を散歩することにした。歩くことによって、気分も多少は前向きになるような気がしたのである。家を出て、冷たい空気の中、歩いていると、意外と灯りの点いている家が多く、安らぎを覚えた。近所を一回りして帰るつもりだったが、線路沿いの道に出ると、電車の走っているのが見えた。どうやら、終夜運転をしているらしい。電車に乗って遠くに行ってみたくなり、駅に向かった。

 駅に着いて、電車の運行状況を見ると、やはり終夜運転をしており、何処かに行っても、帰れなくなるということはなさそうだった。どうせなら、熱海くらいまで行って、初日の出を見ようかと思った。意外にも、京浜東北線は通勤電車並みの混雑だった。みんながみんな初詣や初日の出にいく感じでもなく、疲れた表情をしている人も多くいた。

 横浜で東海道線に乗り換えようと思っていたら、東海道線は終夜運転をしていなかった。横須賀線は動いているが、鎌倉に行って初詣という気分でもないし、初日の出には、まだ、時間があり過ぎるため、家に帰ることにしたが、反対側の電車が来るまでには30分近く待たなくてはならなかった。

 プラットホームは寒かったので、階段を下り、連絡通路で待つことにしたが、風を避けるため、そこで電車を待っている人が多くいた。ほとんど乗客の乗っていない電車、閑散としたホームを予想していたので、拍子抜けしてしまった。30分後に来た電車はさらに混んでいて、乗り込むのにも大変だった。多くの乗客は、夜通し何処かで遊んでいて、家に帰る途中らしく、大きなお寺のある僕の最寄駅でも、降りる人はあまりいなかった。

 家に着き、再びふとんに潜り込むと、多少、眠気が出てきた。時計を見ると、5時半を過ぎていた。(2015.1.4)




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