45年振りの大雪

 土曜日、僕は休みなのだけど、妻は出勤日だったので、朝食の用意をするため、朝七時に起きた。大雪の予報が出ていたため、寝室の障子を開けると、窓ガラスは結露していたので、手で拭いて外を見ると、すでに雪がうっすらと積もっていた。どのくらい降っているのだろうと、空を見上げると、細かい雪が深々と降っていた。

 天気予報では大雪ということだったが、粉雪だったので、そんなには積もらないかもしれないと思った。妻を起こし、雪の降っていることを伝えると、妻は喜んだ。妻の生まれたペルーのリマは、雪の降ることはないので、珍しいのである。僕もいい年をして、雪はきらいじゃないので、たのしい気分だった。

 アジの開きに味噌汁といった朝食をいっしょに食べ、妻を会社に送り出した後、ガスを節約するため、ガスファンヒーターを消し、ふとんに潜り込んで、本を読んだり、CDを聴いたりしているうちに昼になったので、チャーハンを作り食べた。外を見ると相変わらず、雪の粒は小さいが、地面にはかなりの量が積もっていた。

 テレビをみるとすでに横浜の積雪は七センチとなっていた。粉雪でよく積もったものだなと思ったが、気温が−0.7℃と低く、雪の溶けなかったためらしい。雪のピークは南岸低気圧が関東に最も接近する午後六時くらいということで、これからどのくらい積もるのだろうとわくわくした。

 午後四時、妻が会社から帰って来た。何でも雪の影響で、三時で業務終了となったという。ズボンの裾は雪まみれで、雪かきをするようにいわれた。現在住んでいる部屋は道路から大家さんの玄関わきの門扉を開けて十メートルほど入ったところにあるのだが、そこは僕と妻しか通る人がいないため、雪が積もり放題になっていたのである。

 家にあったちり取りで、人一人分の通れるくらいの幅の雪をかき、横に放り投げていった。そうやって門扉を過ぎ、道路に出るまで雪をかいたが、自分の所だけやるのもイヤな気がして、大家さんの玄関のところも申し訳程度に雪を取り除いた。

 とても、外に食材を買いに行ける状態ではないので、冷蔵庫にあった牛スジとジャガイモ、ニンジン、タマネギでスープを作った。夕食を取り終えた後、冷蔵庫を開けた妻は「卵使った?」と訊いてきた。昼食にチャーパンを作ったので使ったというと、明日、ケーキを作ろうと思っていたという。僕は止めたほうがいいといったが、妻は、結局、近くのコンビニに卵を買いに行った。なかなか妻が返って来ないので心配したが、どうも雪の景色を楽しんでいたらしい。夕方、雪かきをしたところにもまた雪が積もっていたので、二回目の雪かきをした。

 翌日、朝起きて、外の景色をみると、昨日、雪かきをしたところに雪がかなり積もっていた。風が強かったため、屋根などに積もった雪が飛ばされ、路地に溜まったらしい。庭の方も、吹き溜まりのようになっていて、植木は全て雪で覆い尽くされていた。

 外に出てちり取りで雪かきをしていると、大家さんが出て来たて、「これを使ってください」とスコップを貸してくれた。大家さんは玄関周りの雪かきを始め、近所の人たちもそれぞれ道の雪かきをしていた。

 横浜の積雪は16センチ、都内は27センチ、これは1951年の33センチ、1954年と1969年の30センチに次ぐ、戦後三番目の記録だそうである。51年と54年は僕の生まれる前だし、69年にしたって幼児でほとんど記憶のない頃だから、僕にとって実質的には今回が、最大の積雪ということになる。他には熊谷で43センチ、千葉では33センチの積雪だった。

 この日も、外には行かず、昼は妻の作ったピザトースト、夜は冷蔵庫にあったブリを照り焼きにして食べた。月曜日、会社に行くため、二日振りに外に出た。現在すんでいる地域は住民意識が高いらしく、住宅街の中の道はきれいに除雪されていた。道の両側に寄せられた雪は、子供の格好の遊び道具になったようで、ウサギやドラえもんの雪だるまに見送られながら、駅へ向かった。(2014.2.12)




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