海芝浦駅へ行く 後編

 浅野駅を後にして、まずは入船公園に向かった。京浜工業地帯の入口に、都市防災と緑の環境を保持する配慮で設置された公園であるらしい。かなり広い公園で野球場やテニスコートがあり、土曜日だったので、野球のユニホームを着た人たちが、集まっていた。近所の老人たちの散歩する姿も、多く見られた。ここで、トイレを済ませ、温かいお茶を買って、安善に向かった。

 入船公園を出ると橋があり、この下を流れているのが旭運河である。橋のたもとには、釣り船屋があり、ボートが幾艘も浮かんでいる。休憩所と称された釣り船があり、かなり数の空きペットボトルが、ゴミ箱に見受けられ、それなりに客は来ているようである。

 その道を真っ直ぐ歩き、信号のところで右折すると、立派な食堂があった。まちだ屋という屋で、定食・丼物各種、そば・うどん、ラーメンと何でもある。歴史を感じさせる立派な造りで、営業中になっていたので、どうしようかと迷ったが、まだ昼には時間があるので、今回は見送ることにした。鶴見線沿いは、ほとんどが工業地帯のため、食事処は大変少なく、貴重な一軒である。この道を真っ直ぐ行き、角のたばこ屋を曲がると安善駅がある。

 安善駅周辺は、住宅街である、それなりに酒屋や魚屋などのお店もあるが、境運河を渡ると、辺りは工場と倉庫の風景になる。武蔵白石駅を右折して、鶴見線の線路を超えると、大川支線の線路が道路と並行して現われる。この道を真っ直ぐいくと、大川駅がある。大川駅には日中、一本も電車が入線しないため歩いて行くしかないのである。

 鶴見線の線路渡っていると反対側から自転車の乗ったおじさんが来て、僕が鼻を鳴らしたのを耳に留めたらしく、「今日は寒いね」と声をかけてくれた。道の両側には、日本鋳造などの工場や倉庫が連なり、大型車が引っ切り無しに通行している。白石運河に架かる大川橋からは鶴見線大川支線の第5橋梁に、第二次世界大戦中、米軍機の機銃掃射によって刻まれた弾痕を見ることができる。

 白石運河を超えると向かって左側に昭和電工の工場が広がっている。工場と歩道は高い塀で区切られているが、塀際に植えられたコナラからドングリが歩道側に落ちるらしく、おばさんが拾いながら歩いていた。

 少し歩くと大川駅の駅舎が見えてくる。単線で、電車の通らない方の線路は、ススキで覆われていた。周りに工場群がなければ、最果ての駅舎といった趣である。僕が見た駅舎の中でも、最も僻地の雰囲気があった。しかし、その線路の先には日清製粉、そして裏側には三菱化工機の巨大な工場が建ち、大型車が走り回っている。その中で、駅舎だけが、時の止まったように、取り残されていた。

 大川駅の前面には、小さな公園が整備されていて、バス停もある。ここのベンチで一休みし、トイレを済ませて出てくると、先程、どんぐりを拾っていたおばさんが、やって来て、また、元来た道を戻りだした。この辺りに住宅はないはずだから、散歩をしていたのかもしれない。僕も、おばさんの後に続いて、元来た道を引き返す。

 武蔵白石駅に近づくと道路の反対側を観光客の団体が並んで大川駅方面に向かって歩いている。いつくものグループに分かれて、かなりの数である。ほとんどが、中年以降の男女だが、若い女性も混じっていたりして、よくわからない団体だったが、道の反対側に渡ろうとしているグループの横を過ぎたとき、中国語が聞き取れた。

 鶴見線の武蔵白石で降り、何処かに向かっているらしかった。初めは、僕と同じく鶴見線の旅でもしているのかと思ったが、これ程の団体で、あの大川駅を見に行くとも思えないから、何処かの工場を見学に行くツアーだったのだろう。田舎に行き、田んぼの広がっている風景を見ると、日本の風景だなと思うが、この工場の連なる風景もまた日本のひとつの風景かもしれない。そんなことを思う。

 武蔵白石駅に着いて、時刻表を見て愕然としてしまった。時計を見ると11時15分だったが、次の電車は12時10分だった。先程の中国人の団体は武蔵白石11時10分着の電車に乗ってきたようだ。ここから電車に乗って、扇島まで行き、徒歩で扇島、昭和周辺を周り、昭和から鶴見線に乗って国道まで戻り、国道駅を撮影してから、徒歩で帰宅しようと思っていたのだが、その計画はあっさり崩れた。

 海芝浦さえクリアーすれば、後は何とかなると勝手に思っていたが、完全に鶴見線沿線の旅をあまく考えていた。武蔵白石で一時間近くも待つくらいなら、歩いて浜川崎まで行った方がいい。地図上で見る限り、鶴見線の中でも武蔵白石〜浜川崎区間は最長である。線路沿いの道を僕は歩き始めた。

 道沿いは富士電機やJFEの巨大工場で占められ、殺風景な感じだが、浜川崎に近づくと、わずかだが、小さな商店が現われる。12時少し前に、浜川崎駅に着いた。構内に入り、時刻表を確認すると12時13分発扇町行きがある。武蔵白石からここまで電車で3分ということだ。ただ、そのあとを見て、どうしようかと考え込んでしまった。

 12時13分の電車で扇町まで行くのはいいが、帰りの電車が出るのは2時間後で、海芝浦で2時間過ごすよりも、はるかに難しそうに思えた。扇町まで電車で行き、そこから徒歩で扇町、昭和と周り、昭和からまた鶴見線に乗ろうかと思っていたのだが、2時間、扇町・昭和で過ごさなくてはいけないことになる。扇町と昭和は恐らく鶴見線の沿線中で最も大気汚染の激しい地域だろうし、事前に調べた限りでは、どちらの駅の周りにほとんど食事処はない。

 ふと、鶴見方面の時刻表を見ると、12時29分というのがある。このまま、反対側の電車に乗って、鶴見に帰ろうかとも思ったが、昭和駅周辺の工場プラントの写真は押さえておきたい。12時29分発鶴見行きは、12時13分発扇町行きの電車が折り返して来るのだろう。ということは、12時13分の電車に乗って、昭和まで行き、プラントの写真を撮ってすぐ駅に戻り、扇町から折り返してきた電車に乗ればいいのではないか。

 昭和まで2分として、12時15分に昭和に着き、その電車が折り返して再び昭和に来るのは12時27分ということになる。12分という短い時間だが、写真の二、三枚くらいは撮れるだろう。

 鶴見線に乗り、12時15分、昭和に着いた。改札を出ると右手は昭和電工の正門がある。駅前の通りは大型車が引っ切り無しに通り、その排ガスと、巻き上げられる粉塵で、かなり空気は悪い。あまり、長時間はいたくない場所である。まずは、昭和電工のプラントの写真を撮りに、扇橋まで行った。

 扇橋から見た昭和電工の鉄骨とパイプで組み上げられたプラントは、すごい迫力だった、夜になったら、照明が点き、さぞきれいだろうなと思った。橋の反対側からは、デイ・シイやJFEスチールのプラントを見ることができるはずだけど、残念ながら時間がなく、心を残しながら、昭和駅から鶴見線に乗った。(2013.11.23)




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