妻の帰宅

 約2カ月ペルーに帰郷していた妻の帰ってくる日がやってきた。当初はとても長く思われた2カ月という期間だけど、その日が来て見ると、意外と短かったような気がしてくるから不思議である。ただ、慣れない一人暮らしの疲れがたまっていたことも事実で、妻の帰ってくる日が近づいてきてから、余計に実感されるようになった。

 その日、会社を昼で早退し、成田に向かうつもりだったのだけど、携帯を家に忘れてきたことに気づき、一旦、家に戻った。飛行機の到着時刻は16時20分だったので、そのくらいの余裕はあった。家で昼食をとった後、一応、飛行機の到着時刻を確認しておこうと思い、デルタ航空のホームページにアクセスした。

 妻の乗っているアトランタ発のデルタ295便の運航状況を調べてみると、成田到着時刻が予定より3時間遅れの19時23分になっていた。どうやら、アトランタで機体に異常か不備がみつかり、機体整備のため遅発となったらしい。

 これではすぐに家を出ても、成田空港で待ちぼうけを食うだけである。気勢がそがれ、床に横になり、テレビを見ていたら、昨日同様に竜巻が発生し、栃木県矢板市などで被害の出ていることが伝えられていた。竜巻被害の中継を聞いていたら、眠くなり睡魔に負けてウトウトしてしまい、気づいたら三時を過ぎていた。眠気と惰気をどうにか振り払い、3時半に家を出た。

 京浜東北線で上野まで行き、上野から京成電鉄に乗り、成田空港に向かった。JR日暮里駅で乗り換えた方が便利なのだが、確実に座って行きたいため、上野で京成線に乗り換えたのである。上野からスカイライナーを使うと、成田空港まで42.分ほどで行けるだが、料金が2400円と高いため、京成本線を使うことにした。こちらの方は、70分くらい時間はかかるが、料金は1000円と安いのである。

 成田空港に着いたのは、5時半過ぎだった。デルタ航空の到着する北ウイングの到着ロビーに行き、運行掲示板を見るとデルタ295便の到着予定時刻は19時46分となっていた。まだ飛行機が着くまで、2時間以上ある。展望デッキに出て、飛行機の離発着でも見ながら、時間をつぶそうと思った。妻の乗っている飛行機の着陸を見届けてから、到着ロビーに行けばいいと思った。

 ところが、実際に展望デッキに出て見ると、離陸していく飛行機は見えるのだが、着陸する飛行機は、全く見えない。デッキの端から端まで歩いてみたが、何処に降りているのかさっぱりわからない。たまにゆっくりと目の前の滑走路を走っていく飛行機があり、恐らくそれが到着したものなのだろうが、肝心の降りてくる姿が全く見えないのである。

 仕方ないので適当なベンチに腰を下ろし、時間を過ごすことにした。展望デッキには暗いにもかかわらず、多くの人たちがいた。隣のベンチの女の子の5人組は、お互いに写真を撮りあって、嬌声を上げていた。そのテンションの高さと持っていた荷物から判断すると、これからみんなで旅行に出発するのだろう。

 この中には、僕と同じように家族や友人の帰国の出迎えに来ている人、その反対に見送りに来ている人もいるものと思われた。飛行機を熱心に目で追っている人の姿が目立った。ひっきりなしというほどではないが、それなりの間隔で飛行機が離陸しているので、意外と退屈はしなかった。肝心の着陸する飛行機は見えないが、とりあえず到着予定時刻までここにいて、それから到着ロビーにいけばいいと思った。

 19時50分を過ぎ、ターミナルの中に戻ることにした。展望デッキの近くにあった液晶の掲示板をみると、すでにデルタ295便は19時17分に到着しており、通関中となっていた。慌てて、一階の到着ロビーに降りて、辺りを見回したが閑散としていた。到着から30分が経っていることになる。乗客が、ゲートからワサワサと出て来てもいい頃だ。

 乗客らしい人影はまったく見えないが、出迎えにきていると思われる人は少ないが確認できる。ただ、彼らがデルタ295便の出迎えかどうかまでは、わからない。ただ、ひとりの男性がたどたどしい日本語で、「遅れているらしいけど、デルタ何便かわからない?」と電話している声が聞こえた。日系のペルー人のように思え、それなら、恐らく彼もデルタ295便を待っているのだろうと想像すると、少し気持ちが落ち着いてきた。

 しばらくして、太った女性が大きなスーツケースを転がしながら、ゲートから出てきた。すると電話をかけていた男性は彼女にかけより、オーラといってキスをした。僕は自分の予想の当たったことに満足したが、その感慨に浸る間もなく、彼女の後に大小二つのスーツケースを持っている妻の姿を認めた。

 妻にかけより、キスをすると、太った女性が「日本人ですか?」と訊いてきた。妻と彼女はアトランタで飛行機が遅れることになり、デルタ航空から昼食券が出たので、空港内にあるメキシコ料理の店にいっしょに食べに行き親しくなったのだという。彼女も日系のペルー人で、埼玉県に住んでいるということで、リムジンバスで帰って行った。

 僕たちは行きと同じように、電車で帰路についた。大きな方のスーツケースは親戚や友人たちへのお土産で重く、23キロあるということで、道路のちょっとした段差や駅構内の上り下りなど、かなり大変だった。最寄駅から家までは上り坂が続き、距離も2キロ弱あるため、タクシーを使った。

 家に着いて、少し休んだ後、近くにあるファミリーレストランにいった。11時を過ぎていたが、店内は意外と混んでいた。妻と向かい合わせで食事をしていると、一人暮らしの終わったことが実感された。ほっとしたのと一人暮らしの終わった寂しさの、混じり合った複雑な感覚だった。(2013.9.15)




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