成田空港へ

 水曜日、会社を休んで妻を成田空港まで、送っていった。家を出た頃、ちょうど雨が降り出し、空港に着いた時にはザーザー降りになっていた。宅急便で予め送っておいた荷物を受け取り、チェックインカウンターにいった。

 何でも、預けるスーツケースの鍵は開けたままにしておかなくてはいけないそうである。ペルーでの盗難を心配する妻は、少し食い下がったが、かけたままでもかまいませんけど、アメリカで壊されますよといわれ、仕方なく外した。

 チェックインを済ませ、昼食をとりに、五階にあるフードコートに行った。七年前、妻とペルーに行ったときも、ここで昼食をとった。確か、あの時は快晴で、食事をすませた後、外に出て飛行機を見たり、写真を撮り合ったりした。そんなことが思い出された。

 タイ料理が美味しそうだったので、ふたりともそれにした。食事を終え、出発ロビーのある四階に戻り、いろいろな店を見て回ることにした。飛行機に乗っている時間を退屈しないため、妻が本を買いたいというので、まず本屋にいった。妻は日本語を話す分には全く問題ないが、小説となるとやはり疲れてしまうようで、マンガの棚を見て回っていた。そして、会社の休憩所に誰かが置いて行く少年ジャンプに連載されている「暗殺教室」の一巻を買った。

 歩き回っていても疲れるので、出発ロビーにあるベンチに座り、休憩することにした。二カ月間とはいえ、空港での別れは、辛いものがある。気楽な雰囲気で送り出すことができればいいのだけど、とても無理そうな気がした。何と言葉をかけたらいいのかわからず、黙っていると、妻は僕の左腕を掴んで、「H、痩せたね。ちゃんと食べてね」といった。僕は「ああ」と応えた。

 搭乗時間にはまだ早い気がしたが、妻が「そろそろ行った方がいいかな?」と訊いてきたので、「そうだね、早目に行った方がいいかもしれない」といった。二人で搭乗口に向かうと、すでに長い列ができていた。「入った方がいいね」と妻は僕の目を見ていった。僕はただ頷いた。

 チケットを係員に提示して、妻は出発ゲートの中に入った。「チャオ」といいながら、妻は僕の方にやってきて、黄色い鉄柵越しにキスをした。「気をつけて」やっとそれだけがいえた。それに対して妻も「気をつけてね」といったが、僕はもう涙がこみ上げて来て何も言葉が出なかった。ただ、手を振り、「もう行くね」と仕草で示すのがやっとだった。

 しかし、足は動かなかった。手荷物検査の列に並び順番を待っている妻を見ていると、どうしようもなく涙がでてきた。妻は僕がまだいることに気づき、手を振り、僕もそれに返した。

 手荷物検査をしている人ごみの中に妻の姿が消えても、まだ、その場から立ち去り難かったが、意を決して背を向け歩き出した。途中、何度も引き返そうと思った。しかし、気持ちを押さえ込み、僕は歩き続けた。

 帰りの電車に乗り込むと、携帯に妻から電話がかかってきた。電車の中にはほとんど人はおらず、まだ出発前だったので、妻と話した。通話を終え、電車は走りだし、虚脱感を覚えた。心の中にぽっかりと穴の空いていることが実感されたが、よく考えてみれば、別れといっても二カ月だけなのである。今まで家でも会社でもいっしょだったから、余計に寂しく思ってしまうのかもしれない。

 これから二ヶ月しっかりと生活しなくてはいけないと思った。妻が帰って来たとき、痩せた姿は見せたくない。会社帰りにいつもいっているスーパーに寄って、晩の食材を買って帰ろうと思った。(2013.7.4)




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