妻の帰国

 ペルーに住んでいる妻の二番目の姉ヒロミから、妻と妻の三番目の姉カズエにメールが来た。大事な話があるから、午後十時にスカイプを起動させておいてというものだった。簡素な文面のメールだったが、よくない話であることは想像できた。そして、その予感は的中した。妻の一番上の姉サチコに乳がんが見つかったのである。

 第二段階でリンパ節への転移の疑いもあるということだった。すぐに手術することになり、その後は、抗がん剤を使った治療が行われるそうである。現在、妻の実家には妻のお母さんと長女サチコ、次女ヒロミの三人が住んでいて、すぐ近くに長男キョウジの一家と叔母が住んでいる。

 しかし、次女のヒロミは、ガンの診断が下る前に、通訳の仕事でコスタリカに行く契約をしていて、手術の翌日には出発しなければならないので、家には術後のサチコとお母さんだけになってしまう。妻の実家はパン屋さんを経営していて、サチコが全てを取り仕切っているため、ゆっくりと休むことができそうになく、誰かの助けが必要な状況であった。そこで、妻が約二カ月間、ペルーに帰って、サチコの生活や仕事の手助けをすることになった。

 最後に妻がペルーに帰国したのは僕との結婚式を挙げたときだから、もう七年前である。ほんとなら三年に一度くらいは、帰郷できればいいのだけど、地球上で日本のほとんど真反対に位置する国という遠さと、何より飛行機代の高さにより、なかなか実現できないまま、時が過ぎてしまった。そして、妻は、サチコに対する‘負い目’のような気持ちを持ち続けている。

 妻はもともと日本で長い期間、暮らす予定ではなかった。ペルーの経済があまりよくなくて、日本に働きに来たが、数年経ったら帰国して、サチコを手伝うつもりだったのである。しかし、事情が変わってしまった。それは、僕と結婚したためである。

 もちろん、そのことでサチコに責められたということはないし、彼女はそのようなことで責めるような人間ではない。しかし、妻の心の中には、サチコとの約束を破ってしまったという気持ちがあり、その心の中に刺さっている棘が、ときに痛み出すのだろう、妻はときどきそのことを口にしていた。

 サチコが元気な時に、里帰りして、一月でも、二月でも、仕事を代わり、サチコを休ませてあげることができれば、心に刺さったままになっている棘も小さくなったのだろうけど、自分たちの生活に精一杯で、そうすることができず、今になってしまった。このような状況になり、やっと帰るということに、妻は割り切れない気持ちを持っているようである。

 幸いにして、手術は成功し、サチコは術後五日目に退院し、周りの人が‘ほんとに手術をしたの?’と驚くくらい元気だそうである。しかし、これからの行われる抗がん剤の投与で副作用が考えられるし、今はとくかくゆっくりと休んでもらいたいと思う。妻は明るく健康的な人間だから、役に立たなくても、そばにいるだけで楽しい気分になれるはずである。その分、この二カ月、僕は寂しい思いをしなくてはならないのだけど…。

 身内に病人が出るというのは、辛いものである。しかし、前向きに考えていくしかない。そうすることによって、病気になった本人も、上を向けるようになるように思う。(2013.6.29)




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