卵を買いに

 会社から家に帰り、夕食のチンジャオロースを作ろうと冷蔵庫を開けたら卵がなかった。先週、ピーマンの肉詰めを作ったさいに、残ったピーマンを使ってしまおうと思い、不足分のピーマン、タケノコ、豚肉、長ネギなどを会社近くのスーパーで買って帰ったら、あると思っていた卵がなかったというわけである。

 以前住んでいたところだったら、家から五分のところにスーパーがあったので、食材を買い忘れても、たいしたことはなかったが、今は十五分もかかるうえ、道も平坦ではなく、買い物をする時間も含めて、往復四十分近くかかってしまう。さらに週末で、仕事の疲れが重く体に圧し掛かり、外にでるのは億劫だった。

 卵なしで、チンジャオロースを作ることも考えたが、明日は休みだし、やはり夕食は美味しく食べたいということで、気持ちを奮い立たせ、卵を買いに行くことにした。すでに時刻は六時半近くになっており、陽は落ちていたが、外に出ると空はまだ明るかった。不思議なことに家の前の通りに出ると、体に重く圧し掛かっていた疲労感は消え去り、心が軽くなり、開放感を覚えた。

 辺りは薄暮で、空には薄雲が広がっていて、それに地平線の下に落ちた太陽の残滓が反射し、オレンジと紫を合わせたような色彩を放っていた。夕暮れの街を歩いていると、僕は日常の拘束から解放され、非日常の世界を旅しているような感覚を覚えた。卵を買いに行くといった正に日常的な目的のために歩いているというのに、いつしか現実は消え去り、僕の精神は糸の切れた凧のように浮遊していた。

 そういえば、以前にもこのようなことがあったような気がした。いつだっただろうと思いだそうとしたが、特定することはできなかった。子供のとき、遊び疲れて家に帰る途中のことだったのだろうか、それともバイクで北海道を旅していたとき、夕暮れのキャンプ場の光景だったのだろうか?

 それにしても、何故、心が開放されるような感覚を覚えたのだろうか?そう考えてみて、今の自分の行動が日常の円環から外れていることに気づいた。仕事を終え、自分が夕食の当番のときは、会社近くのスーパーで食材を買い、家に帰って、夕食を作る。自分が当番でないときは、そのまま家に帰って、あとはひたすら疲れを癒すように、CDを聴いたり、テレビを見たりして、会社から帰ってきてから外出するということはほとんどなかった。

 無意識のうちに無駄なことをさけ、効率的な行動をすることばかりに頭がいっていたのかもしれない。それが、二百円にも満たない買い物をするためだけに、往復四十分も歩くのである。この非効率的で、ばかばかしい行動が、僕の心の中に巣食っていた何かを取り払ってくれたのだろう。

 スーパーで卵だけを買い、帰路についた。帰りはきつい上り坂になるが、それもあまり気にならなった。空は暗くなり、色彩はモノクロームに近づいていた。心地いい疲労感を覚えながら、薄暮の中を淡々と歩いた。(2013.6.6)




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