妻との価値観の違いから、部屋探しは難航し、不動産屋から帰れば夫婦喧嘩ということがよくあった。いくつか物件を見に行ったが、いずれも妻の反対で決まらず、ついついいわなくてもいいようなことを、口にしてしまうのである。しかし、言い合いを繰り返しているうちに、徐々にお互いが歩み寄っていき、物件探しも煮詰まって来た感があった。そして、不動産屋に通い始めて四回目、そろそろ決断をしようということになった。 その日は、二つの物件を見に行った。一つ目は、今の住居に比較的近いところで、最寄駅から歩いて二十五分の閑静な住宅街にある部屋だった。妻とふたり、広さは十分だったが、日当たりが悪い。部屋の位置や建物の構造からして、陽の当たる時間がほとんど期待できない。部屋の広さや調度は申し分ないだけに、残念な気がした。 もう一つは、今の住居や会社からもやや遠い場所にある部屋で、周囲には自然がいっぱい残っており、空気が違う気がした。まだ、新しいアパートなので、部屋の中はきれいだったが、一つ目の物件に比べると格段に狭く、収納に苦労しそうだった。ただ、アパートの南側が開けていて、みかん畑になっており、陽光に溢れていた。家賃は始めの物件の方がやや高いが、初期費用や更新料のことを思うと、後の物件の方が割高になりそうだった。 妻に「どちらの方がいい?」と訊くと、「うーん」とはっきりしない。部屋の広さか、それとも日当たりの良さを取るか迷っているようだった。「俺が決めてもいいかな?」というと、「いい」というので、後の方の日当たりのいい部屋にすることにした。日当たりの良さもさることながら、窓から見える里山の風景が気に入ったのである。春になったら、窓を開け、目の前のみかん畑をぼんやりと眺めながら過ごすのもいいなと思った。 車に戻り、正式に不動産屋さんの後に物件にすることに決めましたというと、彼女はすぐに管理会社に電話を入れて、決まったことを報告し、契約書をFAXで会社の方に送ってくれるよう頼んだ。「こんなにいい天気だったから後の方に部屋になったのかもね。雨降りだったら、もっと迷っていたでしょう?」と帰りの車の中で、妻は僕にいった。「部屋自体は圧倒的に、初めの物件だったけどな…。でも、日当たりが良くて、開放感のある方が気持ちいいじゃない」と僕は答えた。このときまでは、この日の天気のように、気持ちも晴々としていたのだが、この後、暗雲が立ち込めることになるとは想像していなかった。 不動産屋に戻り、物件の管理会社から送られてきた契約書に必要事項を書き込み、担当の彼女に渡すと、顔の表情が曇り、「年収はこれで大丈夫ですか?源泉徴収の一番大きな金額ですよ」と僕にいってきた。「はっきりと覚えてはいませんが、まあ、だいたいこんなものだったと思います」と答えると、「そうですか」と思案顔になった。 保証人は義兄に頼むつもりだったが、義兄の勤めている会社名や年収、勤続年数など、不確かな個所があったので、後でメールで知らせるということになった。本契約や引っ越しの日付などを決め、引っ越し業者のパンフレットをもらい、「業者に引っ越しの見積もりを頼むのは、審査に通ってからの方がいいですかね?」担当者に訊くと、即座に「そうですね。まだ、日にちもありますから」といわれ、彼女の物言いに微かだが、不安が過った。 家に帰ってからは、やっと引っ越し先の決まったことに体の力が抜けてしまい、朝から何も食べていなかったこともあってか、寝込んでしまった。 翌日の昼休み、弁当を買いに会社の外に出ると携帯電話が鳴った。不動産会社の彼女からだった。「原徴収票、確かめてみました?」と訊かれたので、「ええ、だいたいあんなものでした。昨年は特に少なかったです」というと、「他に何か収入になることやっていませんか?」とさらに訊いてきた。どうも、僕の年収の低さが問題になっているらしい。
「妻の収入もありますから、あのくらいの家賃だったら、よゆう何ですけど」と強気にいってみた。「ええ、でも先方は書類の数字しか見ていませんからね。まあ、こちらもそのことも含めて話してみますけど」といい、電話は切れた。そして、夜の八時過ぎ、また彼女から電話がかかってきた。 保証会社というのは、もともとは連帯保証人を用意できない人のための会社だったが、最近では不動産管理会社の家賃回収のアウトソーシングとして利用されることが多くなってきたようである。不動産管理会社が滞納者の家賃回収に外部業者を使うのは勝手だが、その費用を借主に負担させるのは、どうしても納得ができない。
「そのお金は、払いたくありませんね。払わないと、即、キャンセルということになってしまうのでしょうか?」 ここで断ってしまおうかとも思ったが、もう一度じっくりと考えてみたい気がしたし、妻の意見も訊かなくてはならない。返事は待ってもらえますかと訊くと、大丈夫ですという答えだったので、二日後にお返事しますということで電話を切った。しかし、僕の選択肢は、払わないということしかなかった。このときまでは…。(2013.2.10) |