DV

 髪が伸びてきたので、1000円カットの床屋さんに行った。以前、開店直後に行ったときは、待っている人がひとりだけだったので、今回もそれほど混んでないだろうと思って店に入ると、何と待っている人が七人もいた。

 中年の男性三人に、子供を三人連れた母親がいて、座る場所さえなかったが、中年男性のひとりが気をきかせて少しずれてくれたので、その隣に座ることができた。それにしても、七人とは…。

 よくわからないのは、母親と子供三人の家族である。子供は長女と思われる小学校四年生くらいの女の子と長男と思われる小学校一年生くらいの男の子、そして三歳くらいの女の子で、母親はこの店でカットするとは思えないが、子供が三人ともカットするとなると、僕は七番目ということになる。今日は止めて、他の日にしようかと考えないわけではなかったが、回転は速いはずだから、気長に待つことにした。

 気長に待とうと思った理由は、他にもあった。夕方から妻と横浜中華街で食事をすることになっていたのである。食事をするだけなら、多少髪が長くても問題ないわけだが、食事の後、山下公園から大桟橋辺をぶらぶらしようと思っていた。蒸し暑い中を歩くのだから、さっぱりしておいた方がいいような気がした。

 一週間前、今度の土曜日は、何処かに行こうということになった。そのとき、横浜中華街は考えていなかった。というより、具体的なことを、あまり考えてはいなかった。横浜中華街に決めた理由、それは日曜日の出来事だった。


 日曜日、朝食を取り終えた後、妻は平塚にいる姉のところに行くといった。10月にある地域のお祭りにペルーの民芸品や軽食を売る店舗を出店する準備のためである。店舗を出すことは聞いていたが、その日、平塚に行くことは聞いていなかったので、そのことに関して小言をいうと、妻も言い返してきた。

 そして、言い合いをしているうちに、双方の言葉が鋭くなっていき、妻は僕の態度や収入に関することを言い始めた。結婚する前、僕は出来るだけ早く、もう少し収入を得られそうな職場に転職するといっていたのである。しかし、年齢的なこともあり、また、生活に追われ、たまにハローワークのホームページを見るくらいで、実質的な行動をほとんどしてこなかった。つまり妻にしてみれば、低い収入に甘んじて何もしない夫ということになる。

 僕は妻の言葉に躓き、ついかっとして、たまたま掃除をしていた最中だったものだから、つい掃除機の吸い込み口で妻の脛のあたりを打ってしまった。そして揉み合いになった拍子に、もう一度、同じことをした。妻は掃除機に打たれたことにショックを受け、しばらく、椅子に座ったまま涙をこらえているようだったが、平塚の姉のところにいくため、家を出ていった。

 翌日、妻は僕が掃除機で打った脛の辺りを見せてきた。それほど強く打ったつもりはなかったのだけど、二か所痣が出ていた。僕は謝ったが、同時に妻の言葉の暴力のことについてもいった。

 仕事を終え、家に帰り、夕食の支度をしていると、妻も帰ってきたが、二階にいったままなかなか下りてこなかった。食事が出来たので呼びに行くと、ふとんに横になって泣いていた。僕は特に理由は訊かず、食事の出来たことだけを伝え、しばらくして妻は下に下りてきて、いっしょに夕食をとったが、妻は塞ぎ込んだままだった。

 夕食を取った後、妻はコーヒーを淹れた。それを、飲もうとすると、妻は再び泣きだした。そして、泣きながら
 「Hとずっといっしょに暮していきたいと思っていたけど、もうだめかもしれないね」といった。妻は下肢についた痣に、強いショックを受けているようだった。今までの人生で、親からも、兄弟からも、誰からも打たれたことはなかったのである。僕は再び謝ったが、痣を見ながら妻は
 「これはもうだめでしょう」といった。そのときになって、自分のしたことの大きさを僕は実感した。こうなれば、もう誠心誠意自分のしたことを反省し、謝るしかない。謝罪し、長い時間、妻と話し合った結果、何とか最悪の事態だけは避けられた。

 最悪の事態は回避できたが、僕と妻の関係は微妙に変わり、妻もときに塞ぎ込むようになった。僕は少しでも、もとの元気な妻に早く戻ってもらいたいと思った。幸いにして、土曜日は出かけることになっていたし、その約束はキャンセルされていなかった。妻は中華料理が好きだし、雑貨店を見て回るのも好きだった。その両方を叶えるところが、中華街だったのである。


 床屋の順番はなかなか回って来なかった。というもの、子供三人を連れた母親は、子供だけでなく、夫の順番も取っていたのである。三人目の子供がカットに入ると、恐らく自宅で待機していたであろう夫を呼びに行き、僕は結局彼の後になってしまった。それにして、一家で1000円カットというもの、侘しい気がした。

 六時、K駅で妻と待ち合わせ、横浜中華街へ行った。雑貨店をいくつかひやかしていると、天津甘栗を売っている親父に引き留められ、大幅にサービスしてくれるというので買うことになってしまった。通常1000円の袋の分量の二倍を同じ値段でいいからといい、「今、店長いないから」とさらにおまけをしてくれた。

 香港路にある中華店に入り、ポロ袋に入れられた天津甘栗を、親父がいっしょに入れた天津甘栗の袋に妻が移し替えると、何とか収まってしまった。
 「あの親父に騙されたかな?」と僕が言うと
 「でも、ほら、パンパンだから」と妻は天津甘栗でパンパンに膨れた袋を見せてくれた。通常ではそんなパンパンな状態では、売っていないので、サービスしてくれたことは間違いないらしい。親父の前に、声をかけてきた他店のお姉さんも同じようなことをしていたので、或いは、そういう手なのかもしれないが、あまり詮索しないほうがよさそうだ。ともかく、妻とこうして向き合って中華料理を食べている方が、重要なのである。

 中華料理店を出た後、山下公園に行った。蒸し暑いかなと思っていたが、夜風が気持ち良かった。氷川丸近くのベンチに座り、いろいろな人が通り過ぎるのを見ながら、妻とおしゃべりをした。(2012.7.1)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT