素直になれなくて

 久しぶりに妻の涙を見た。

 結婚した当初、ケンカの後、妻はよく泣いていた。それは育った環境の違いが大きかったように思う。僕の家は祖父が酒乱で毎日のように酒を飲んでは、暴れていた。マンガの巨人の星で星一徹がちゃぶ台をひっくり返すシーンがよくあったが、実際の家庭ではそう或る事ではないと思う。しかし、家では頻繁ではなかったにせよ、ちゃぶ台返しが数回あった。ちゃぶ台の上の食べ物は全て飛び散り、一瞬にして辺りは修羅場と化し、居た堪れない気持ちになった。祖父と父が取っ組み合いのケンカをしたこともあり、荒れた家庭だったのである。

 そのような家庭で育ったせいか、他人を怒鳴るということに対して、僕には免疫ができていたようで、妻に対してもちょっとしたことで声を荒げたりしていた。妻の家は僕の家とは正反対だったようである。五人兄弟みんな仲良く、夫婦関係も良好で、温かい家庭で育った。父親は対外的には、怖がられていたらしいが、家族には優しく、四女である妻とその下の弟のお弁当は、店を切り盛りしていた母親の代わりに父親が毎日作っていたそうだ。妻は父親からも母親からも怒鳴られたことはなかったという。

 したがって、ちょっとしたことで、僕が声を荒げると、免疫のない妻はびっくりしてしまい、耐えられなかったようだ。僕はすぐに自分の感情を表に出す性質で、そのことを反省して、出来るだけ自分を抑えるようにし、妻も徐々に免疫が出来てきて、ここ数年は妻の涙を見ることはなかった。

 発端は実にくだらないことだった。テレビのクイズ番組を観ていて、妻から出演者のことで質問をされた。そのとき、僕と妻はダンベル運動をしながらだったので、僕の位置からだとテレビが遠くてよく見えなかった。それに僕はテレビ、特にバラエティはただ何となく見ているだけなので、突っ込んだことを訊かれても、即座には答えられないのである。それで、よくわからないというようなことをいったら、妻はまた質問をして来て、それを何回か繰り返すうちに、イライラしてしまい、つい声を荒げてしまったのである。

 すると急に妻は悲しそうな顔になり、涙を必死で堪えているようだった。僕は慌てた。以前もこのようなことはよくあったが、それで妻が泣くということはなくなっていたからである。体調の悪かったせいと仕事の疲れが重なり、妻の心が弱っていたのかもしれない。すぐに謝ればよかったのだが、僕はそうしなかった。

 翌日も妻は塞ぎ込んだままだった。妻の暗い顔を見るのは辛い。こんなことを繰り返していたら、大切なものを失ってしまうのではないかと思った。自分がよくないことをしたとき、照れや意地、そしてつまらない見栄などから、素直を謝ることができない。アメリカのロックバンドChicagoも‘Hard to say I’m sorry’と歌っているように、こういうことは全世界共通なのかもしれないけど、どうでもいいようなことにこだわり、それで大切なものを無くしてしまったとしたら、あまりに馬鹿すぎる。自分のあまりの馬鹿さ加減に呆れる思いがした。

 夕方、仕事から帰った後、妻に謝った。それですぐに機嫌が直ったわけではなかったが、凍りついていた表情は溶け出し、動きが出てきた。妻の顔の明るくなってきたことに僕は安堵した。(2012.4.7)




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