1000円カット

 今まで髪が伸びたら、母の住んでいたアパートの近くにある床屋さんにいっていた。そこは、僕がまだ学生だった頃から通っていたため、店長(とはいっても奥さんと二人だけなのだが…)とも気さくに話ができてリラックスできた。腕はそれほどよくなく、別の店に浮気したこともあるが、結局は気心知れたその店に戻ってしまい、ここ10年くらいは他の店にいったことはなかった。

 しかし、昨年の11月に母が弟と同居することになり、もう昔暮らしたアパートに行くこともなくなった。結婚した後も母のアパートを訪ねるついでに、その床屋さんにいっていたが、髪を切るためだけに大枚を叩くのもどうかと思った。母の住んでいたアパートまでの交通費は往復600円で、それに整髪の料金を合わせると5000円近くになってしまう。

 身入りが多ければいいが、やっと生活している現在の状況では、わざわざ前に住んでいたところにある床屋さんまで通う余裕はない。現在住んでいる家の周りにはやたらと床屋さんが多く、徒歩で5分以内にいけるところに7店もある。料金は1470円から3600円のところまであり、店の外から中を覗ってみたが、どうも若い人向きの店と年配の人向きの店のどちらかの感じがして、自分に合いそうなところがなさそうであった。

 しかし、ぐずぐずしているうちに髪は伸びてくるし、いい加減決めなくてはならず、一番安い1470円の店にしようかと思ったが、そこにいった妻があまり良くなかったというので止めてしまった。タオルが臭く、男の理容師さんに当たると最悪だという。返って、床屋さんが何店もあるのがいけないのであって、1店しかなければ、そこに行かざるをえず、こんなに迷うこともないのにとうらめしい気分になったりした。

 そんなこんなしているうちに偶然隣の駅前に1000円カットの店をみつけ、思い切って中に入った。カット台は2つで理容師さんは若い男性と年配の男性のふたりで、開店直後だったのにもかかわらず、順番を待っている人が1人いた。しかし、カットだけなので回転は速いはずである。

 ふと見ると、チケットを販売機で購入してくださいというようなことが書かれた張り紙があった。券売機を目で探すと、入口の近くにそれらしいものがあったので、近くにいってみると確かに券売機だったが、故障中とかかれた紙が貼りつけられている。カットしている年配の理容師さんに声をかけると、後でいいというので奥の椅子に座って順番を待つことにした。

 20分くらい待たされただろうか、椅子に座ってマンガを読んでいたら、どうぞと若い方の理容師さんに声をかけられた。席に座ると「どうされますか?」丁寧に訊いてきた。券売機のことを訪ねたとき、年配の理容師さんの態度が横柄だったので、1000円カットだから仕方ないのかと思っていたが、そんなこともないようで、ただ単に人柄だったようだ。

 「横は耳かかる程度に長さで、前と後はそれに合わせて、自然な感じで」というと、「わかりました」といって、霧吹きで髪を濡らしカットを始めた。今まで通っていたところは側頭部から切り始めていたように思うが、ここは前頭部から天頂部にかけてハサミを入れいき、理容師さんによって違いがあるのだなと思った。その後、前髪を切り、横の部分を切り、後を切り、長さを揃え、髪の毛をすき、また前後左右の長さの調整をした。

 カットは15分程度で終わった。仕上がりも今まで通っていたところと遜色ない感じだった。時間も短いし、床屋さんにいってリラックスという雰囲気ではないけれど、お金の無い僕にはうってつけかもしれない。ポイントカードをもらい、店を出た。

 家までの道すがら、店にいたふたりの理容師さんのことを想像した。ポイントカードには年中無休と印刷されており、順番待ちの椅子の近くの壁には、他の店舗を紹介したプリントが貼ってあった。ということは店にいたふたりの理容師さんは店のオーナーではなく、雇われているのだろう。

 僕の店にいる間、客は引っ切り無しに来ていた。次から次へとカットするわけだから、腕は上がるように思える。若い方の人は、将来自分の店を持つための資金稼ぎと技術力の向上の目的で勤めているのではないかと勝手な想像をした。年配の人の方は、自分の店をこかしてしまい、それで雇われ人になったのかもしれないな、などと失礼なことを思った。(2012.2.27)




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