三崎のマグロ

 年も押し迫った三十日、妻と三浦半島の突端にある城ケ島へ行ってきた。この正月休みに何処かに行こうといろいろ考えた末、三崎マグロを食べに行こうということになり、ただ、マグロを食べに行くだけではつまらないので、城ケ島をハイキングすることにした。

 京浜急行で三崎口まで行き、そこから城ケ島行のバスに乗った。バスに乗ると「三崎港まで渋滞しています」と運転手さんがアナウンスした。駅から通りに出るとすぐにバスは動かなくなった。窓から前方を見ると車が数珠つなぎである。これはだいぶ時間がかかるなと覚悟した。

 車窓からは外の陽光が降り注ぎ、ぽかぽかして眠りを誘う。何気なく窓の外を見ると、大根の直売所がいくつもあり、軒下に大根が吊るされていた。店の前の台には大きな大根がいつくも並び、妻は感嘆の声を上げた。三浦大根は三崎マグロと並んで、三浦半島の名物である。

 バスは少し走っては止まりを繰り返し、そのおかげで三浦大根の大きさはよくわかったが、肝心の城ケ島まではまだまだ時間がかかりそうだった。先程までは身を乗り出すようにして、窓の外の景色を見ていた妻も、心地よい日差しに負け、ゆっくりと船を漕ぎ始めた。年末なので、多くの人が三崎マグロを求めてやってくるのだろう。

 三崎港を過ぎると、今までの道路の混雑が嘘のようにバスは快調に走りだし、城ケ島大橋を越え、二時少し過ぎに終点城ケ島に着いた。バスを降り、とりあえずお土産物屋の並ぶ路地に入った。狭い路地の両側にはお土産物屋の他に食堂もあり、行き来する観光客を呼び込んでいた。

 ここらの食堂で軽く何かを食してから、ハイキングに向かうのがいいのだろうけど、夕食も三崎でとる予定なので、昼夜外食となると恥ずかしい話であるが懐がかなり寂しくなってしまう。家を出る前に、お雑煮を食べてきているので、ここはガマンして先にある灯台に向かった。

 急な階段を上ると、いろいろな西洋風のオブジェの置いてある中庭のような場所があり、灯台はその先にあった。白く小さな灯台だった。日本で二番目に造られた洋式灯台である。灯台の横に立つと、青い空とその下に海が広がり、冬に低い陽光が僕たちの方へ伸びていた。

 灯台の裏庭から京急ホテルに向かう階段を下り、馬の背洞門に向かった。辺りの海岸は、岩場で多くの人たちが磯遊びを楽しんでいた。馬の背洞門にはこの岩場沿いか、一度丘を上がり、水仙ロードを歩く二つのコースがあるが、岩場は歩き辛そうだったので、水仙ロードの方を歩くことにした。

 水仙ロードはその名の通り、道の陽側に水仙が植えられているハイキングコースである。高台を歩くのだが、道の両側には背の高いクマザサが生い茂っており、それほど見晴らしは良くないが、クマザサが刈られ、見晴らし台になっている所もある。眼下には岩場とその先には海が広がり、気持ちがいい。

 しばらく歩くと、遠くに馬の背洞門が見え、海岸に下りる道がある。そこを下り、海岸を少し歩くと馬の背洞門に着く。馬の背洞門は断崖が波と風によって浸食され、洞穴になったもので、現在は侵食が進み背の部分が細り、落石や崩落の恐れがあるため、近づくことが禁止されている。

 馬の背洞門の前で妻と交代で記念写真を撮り、洞門の脇にある階段から、水仙ロードに戻り、城ケ崎公園を目指した。城ケ崎公園までの途中に、ウミウを観ることのできる展望台があり、多くの人が岸壁に巣を作り行き来するウミウの姿を見ていた。城ケ島はウミウ、ヒメウ、クロサギの生息地になっていて、風雨や荒波によって侵食されたこの断崖に見ることができるそうである。

 自然の動物の観られるところというのは、何故か多くの人が集まる。北海道のえりも岬でもゼニガタアザラシの観られる展望台は、アザラシが見えなくても人の群れていた記憶がある。見えない檻の中で暮らしているような人間は、自然の中で自生している生命力の輝きに惹きつけられるのかもしれない。

 城ケ島公園に着いた頃にはもう時計は三時を回り、陽は大きく傾いて、肌寒かった。温かいものが欲しくなり、妻は公園の入口にあった自動販売機でコーヒーを買ったが、甘くて僕は一口飲んだだけだった。二つの展望台からは夕陽がきれいに見えた。

 岩礁の突端に灯台が見えたので行ってみることにした。安房崎と呼ばれているところで、岩礁を歩いて小さな灯台まで行けるのである。岩場には多くの人たちが下りていて、磯遊びをしていたり、灯台を背景に写真を撮ったりしていた。灯台のところまで、行くつもりだったが、風が冷たく断念して、元来た道を戻った。

 陽は傾き、風も強さを増し、急に冷え込んできたせいか、妻は行く末の不安を口にしだした。沈みゆく太陽が自分のことのように思え、寂しい気持ちになった。折角、三崎マグロを食べに来たのだから、沈んでばかりもいられない。愚痴ばかりいう妻の話題をどうにかマグロの方に持っていった。

 とはいっても時刻はまだ四時を少し過ぎたばかりで、夕食には早過ぎる。バスに乗っていた感じだと、三崎港までそんなに距離も離れていないようだったから、ぷらぷらと歩いて行くことにし、城ケ島公園を出て、城ケ島大橋に向かった。城ケ島大橋は、この手の橋の常で風が強く、しかも冷たくて耳が痛くなるほどだった。橋の中央まで来たとき、向かって左手に富士山が微かに見えた。

 暗くなってゆく寂しい街を黙々と歩いていると、先程感じた人生の黄昏というものがまた思い出されてきた。城ケ島から近く思えた三崎港も港を回り込むように歩くため、意外と時間がかかった。それに鉄道の駅の無いこの街では、何処が街の中心なのかもよくわからない。とりあえず、バス停の三崎港に行くことにした。

 バス停が近づくにつれて、ぽつぽつと飲食店が見られるようになった。やはり、バス停辺りがもっとも栄えているらしい。店の雰囲気とメニューの書かれた看板を見比べ、手頃な店を探した。細い路地に数軒マグロ料理の店や直売所があったので、周ってみることにした。そして、その中の小さなマグロ料理屋に入った。マグロづけ丼とマグロのカツのセット1300円という値段が気にいったのである。

 時間が早かったのか、遅かったのか、店内には客は誰もおらず、僕たち二人だけだった。店主は座敷に座り、競輪中継を見ていた。僕たちは座敷に上がり、妻は表の看板にあったづけ丼とカツのセット、僕はマグロづけ丼を注文した。注文すると、ちょうど奥さんが買い物から戻って来て、カウンターの中に入って、料理を始めた。店主は奥でカツを上げているようだった。

 しばらくして出てきた料理は美味しかった。やはり、本場だけあり、マグロは新鮮で脂もよく乗っていた。妻のマグロカツも数切れ食べさせてもらったが、パサパサしているのではないかとおもったが、やはり脂がのっていて美味しかった。

 マグロのおかげで、暗い考えは多少なりとも払拭され、いい気分で帰路に着くことが出来た。帰りは渋滞もなく、バスは快調に三崎口まで行った。来年も健康で、無事に一年が過ぎてくれればと、電車に揺られながら思った。(2012.1.7)




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