キヨミ一家の帰国

 キヨミの一家の帰国する日が来た。土曜日の深夜0時5分羽田発ロスアンジェルス行きの便ということで、9時くらいに空港に着く予定だという。仕事の終わった妻と駅で待ち合わせ、まずは僕のジーンズを買ってから空港に向かうことにした。

 長年はいてきたジーンズは所々に穴が空き、今までは接ぎを当てて使っていたが、今度は左ひざの上の部分が切れてきたので、妻に修繕をお願いすると時間がないという。夏ならともかく、この季節では穴の空いているところから風が入って来て寒いので、新しいものを買うことになった。

 6時に駅で落ち合い、そこから2駅目にある大型販売店に行った。今まで使ってきたものと同じものにして、裾上げをお願いすると1時間後に取りに来てくださいといわれ、量販店の中を見て回っていたが、妻がいろいろと買いたそうな素振りを見せ始めたので、疲れたので何か飲もうと1階にあるフードコートに誘導した。

 飲み物だけでなく、軽く何かを食べておこうということなり、たこ焼きと50円引きになっていたお好み焼きを注文して、共用フロアで食べた。お好み焼きは意外とボリュームがあり、満腹感を覚えるほどだったが、後から考えるとここでお腹に入れておいて正解だった。

 食べながら妻と話したところによると、海外からの養子縁組は多くあるそうで、仲介業者を通して行われるということだった。キヨミの他に2組のペルーの夫婦が、養子をとったという。キヨミたちに産みの母の情報は知らされないが、産みの母は養親を選ぶことができるらしい。妻は産みの母親が子供を手放すことになった経緯に、強い関心があるようで、頻りに「何ででしょう?」と独り言のように呟いていた。

 8時ちょっと前に、裾上げの終わったジーンズを引き取り、羽田空港に向かった。新しくなった羽田空港に行くのは、今回が初めてで空港内で迷うのではないかと心配していたが、そんなこともなく3階のチェックインカウンターのところに行けた。ロビーを探したが、まだ誰も来ていないので妻がカズエに電話をすると、子安の辺りにいるという。それなら、まだだいぶ時間がかかりそうなので、テレビなどでも紹介されていた江戸小路にある食事処を見て周った。

 時計をみるともう9時半近くになっている。そろそろ、キヨミたちが来る頃だと思い、3階に戻るとカズエの長男であるケンタの高い頭が見えた。キヨミたちは2台の車で分乗してきたということだった。キヨミの父方の従妹たちとその家族、母方の従妹である妻とカズエそしてその一家、多くの人が見送りに来たことにキヨミの母であるTiaヨシコは「こんなに多く来てくれて、ありがとう」と何回も言った。

 ジョネは広い空港のフロアをカズエの次男タカシやキヨミの父方の従妹の子供たちと駆け周り、ノボルはキヨミの従妹のひとりに抱かれて眠っていた。みんなの共通の認識は、この一週間でノボルにかなりの変化が見られるようになったということだった。初めの頃はほとんど感情を表に出さず、Tiaヨシコなどはこの子は口がきけないのではないかと本気で心配したくらいだった。笑うということはまだないようだが、泣いて意思を伝えることを覚えたようだとカズエはいった。

 搭乗手続きに途惑っているようでキヨミとジョンはなかなかカウンターから帰って来なかった。様子を見に行った従妹の話によると、席がいくつかに分かれてしまうため、その辺りの調整に時間がかかっているという。何とか最低限の調整がついたらしく、10時近くになってようやくジョンとキヨミが戻って来て、みんな並んで写真を撮った。日本人は写真好きといわれるが、人が集まるとペルー人はとにかく写真を撮りたがるようである。次から次へと「写真!写真!」ということになり、ケンタは「もういいでしょ」と小声で呟いていた。

 出発時刻まで2時間を切り、キヨミ一家は出国手続きに向かった。従妹に抱かれ眠っているノボルはキヨミの胸に戻った。ジョネは少し泣いているようだった。出国手続きとセキュリティチェックを終え、4人の姿が見えなくなるまでみんなで見送った。

 時刻は11時を過ぎていた。お好み焼きを食べておいてよかったと思った。キヨミの父方の従妹たちは、帰って行った。僕と妻は食事をしてから帰るというと、カズエたちもまだ夕食をとっていないという。時間も遅く終電も心配なため、ラーメンで済ませることになった。ラーメンを待ちながらフェルナンドが「寂しくなるね」といった。(2011.12.15)




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