赤ちゃん

 妻の母方の従妹キヨミの一家が来日した。キヨミは妻の母の妹の子で、アメリカのロスアンジェルスに夫のジョンと七歳になる男の子ジョネと暮らしている。今回は、それにペルーに住んでいるキヨミの母Tiaヨシコの四人でやってきた。

 日本に来た目的は養子をもらうためである。キヨミはどうしてもジョネに兄弟をつくってあげたかったようだが、年齢的な問題でそれが叶わず、考えた末に養子をとることにしたということだった。

 養子はS県で生まれた三カ月になる男の子で、名前はノボルという。生まれてからずっと病院にいたということだった。親がどういう経緯で子供を手放すことになったのか、詳細はわからないが、出産費と赤ちゃんの三カ月の入院費はキヨミの一家が払うそうである。それを払えるということも、養親になるための選択基準になっているのかもしれない。雨の降る寒い木曜日、都内のSホテルで、ノボルはキヨミ一家の一員になった。

 日曜日、妻とキヨミたちの泊っている妻の姉の家にいってきた。四時ちょっと前に着くと、家にいたのはキヨミと妻の姉のカズエとその夫のフェルナンドだけだった。肝心のTiaヨシコは、金曜日に来た沖縄の親戚たちと温泉にいってしまい、そのままそこで泊るという。ジョンとジョネは、ジョネが新幹線に乗りたいというので、名古屋まで行き、夕方には戻ってくるということだった。新しくキヨミの家族の一員になったノボルは、二階で寝ていた。

 キヨミの話によるとノボルは病院の中で、限られた人間としか接していなかったので、初めて家に来た時は大勢の人たちに囲まれて、びっくりしたように周囲を見回していたという。病院では夜泣きをしても、誰かがすぐに面倒をみてくれるということもなかったせいか、夜も静かに眠っているそうで、泣いたり、笑ったりと感情を出すこともあまりないそうだ。その話を聞いて、わずか三カ月の赤ちゃんでも、周りの環境に影響を受けているということを知り、改めて家族の大切さを想った。

 六時少し前に、新幹線に乗って名古屋に行ったジョンとジョネが帰ってきた。ジョンは日系のアメリカ人で、お亡くなりになったが以前パリーグの広報部長をしていたパンチョ伊東さんに似た感じの優しそうな人だった。ジョネは活発な少年で七歳にして英語とスペイン語を使い分けている。父親と話すときは英語、母親やおばあちゃんと話すときはスペイン語なのである。新幹線に乗ってさぞ楽しかったのだろうと思いきや、ジョネは「これって本当に速いの?」とジョンに何回も訊いたという。飛行機に乗っているとき、全く速さを感じないのと同様に、新幹線もほとんど揺れないということなのだろう。新幹線の技術の高さを改めて思った。

 六時半を過ぎた頃、妻の父方の従妹たちがやってきた。エリカ、メグ、ミチュの三兄弟とエリカの夫のケンちゃんの四人である。人が増えて騒がしくなったというわけでもないだろうが、二階からノボルの泣声が聞こえてきた。すぐにキヨミが二階に上がり、ノボルのお披露目となったのである。

 今まで以上に多くの人に驚いているのか、ノボルは目を見開いて辺りを見回すような仕草をした。泣いたのはおしめが濡れていたようで、新しいものに換えた後、女性たちはかわりばんこにノボルをだっこした。

 改めていうまでもないが、養子をとるということは、非常に重い決断だったと思う。キヨミはジョネに「兄弟がほしい?」と訊いたら、「いらない。小さな犬か猫がいい」といったそうである。感情をほとんど表わさず、状況の変化に戸惑っているようなノボルを見ていたら、人間はどのようにして形成させるのだろうかなどと大それたことを思った。先天的なものが大きいのか、それとも周囲の環境によって形作られていくのだろうか?

 キヨミの家族になったことで、ノボルは全く違う人生を歩くことになった。僕のみる限り、陽気で暖かそうな家庭である。その中で彼がどのように成長していくのか、見守っていたい。(2011.12.08)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT