夕暮れ時の憧憬

 駅から会社に行くのに、途中にある商業施設の中を通り抜けると近道になる。その商業施設は駅の構内から高架になっているプロムナードで繋がっていて、シンフォニーホールとオフィスビルが合わさったもので、一階と二階の部分にはいくつかのテナントが入居している。ただ、繁華街とは反対の出口になってしまうため、人の流れはそれほど多くなく、基本的にはそのビルに入居しているオフィスに勤めている人とたまに行われるクラシックのコンサートに来る人くらいなものである。

 通勤時は駅から繋がっているプロムナードを歩いて建物の二階の入口から中に入り、入口を入ってすぐのところにあるエスカレータに乗って一階に行き、中を突っ切って外に出て会社に向かうのだけど、退社時はどういうわけか、建物の中に入る気分になれなくて、歩道と繋がっている外階段を上り、その建物の二階の裏側にある広い通路を通って駅に向かうことが多い。

 その通路の外側にはベンチがいくつも設置されていて、昼休みなどはそこでお弁当を食べている人などをよく見かけるが、仕事が終わる夕暮れ時には、明らかにホームレスといった風の人がぼんやりと景色を眺めている姿に出くわすことがある。その光景に、僕は憧憬を覚える。暮れゆく時の中に佇んで、ただその流れに身を任せているような彼らの姿に、自分もこのような時を持てたらと思う。

 バイクでツーリングして夕方キャンプ場に着き、テントを張り終え、ぼんやりと辺りの景色をながめていると、何ともいえない安らいだ気持ちになった。何で、そんな気持ちになれたのか、はっきりとしたことはわからないが、それは多分、明日のことを思わなかったからである。ただ、暮れゆく風景を楽しんでいただけだった。

 バイクでツーリングしているときも、明日はどうしようかと全く考えないわけではなかった。明日の予定というのも、一応あるにはあった。しかし、それはどうでもいいことで、気持ちの変化や天気によって変わった。自由気ままに動いていたのである。

 しかし、日常ではそういうことはできない。仕事をする気分ではないから、会社を休むなどといったら妻にどやされるだけである。仕事が終わったら、明日の仕事のことを考え、それが週末まで続く。明日のことを思わず、好きなだけ時を貪るということはできない。

 夕暮れ時、ベンチに座り、ただ暮れゆく一日を見送っているだけのような彼らの自由さに僕は羨望を覚えたのである。現実には彼らだって、明日を思っているだろうし、それは僕よりもずっと深いものかもしれない。しかし、暮れゆく風景を見ている彼らの景色は、僕の心に深く残るものだった。どうしたら、日常を壊すことなく、その心境を獲得することができるのだろう?

 こんなことを思うということは、やはり僕は会社員に向いていなかったのだろう。結局、たださぼりたいだけの怠惰な人間なのかもしれない。ぼんやりしているときより、忙しくしているときを時間の無駄と思ってしまう性質なのである。だけど、会社員に向いている人間なんて、本当にいるのだろうか?(2011.7.24)




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