割れ窓理論

 実は先日、仕事を終え、家に帰ると、一階の縁側のサッシが開いたままになっていた。ここのところの暑さで、家にいるときはいつも縁側のサッシを全開にしているのだけど、閉め忘れて仕事に行ってしまったらしい。仕事から帰り、全開になっているサッシを見て、一瞬血の気の引く思いがしたが、家の中を見ても荒らされた形跡もなく、わずかながらのたんす貯金をすぐに調べてみたが、大丈夫だった。

 一階のサッシを全開にして、出かけてしまったのは、今回が初めてだったが、今までも玄関のドアの鍵をかけ忘れて寝てしまったことが何回かある。朝起きて、鍵が開いたままになっていたと妻と苦笑したが、幸いにしてそれだけで済んでいる。これだけ、不用心でも泥棒に入られたことがないのである。

 前に住んでいたのは都内のアパートだった。不要になったニミコンポを廃品業者が来たら出そうと玄関のドアの横辺りに出しておいたことがあった。買い物を思いつき、ドアを開けて外に出て驚いた、少し前に出しておいたニミコンポが無くなっていたのである。時間にして一時間も経っていなかったように思う。いくら捨ててしまうものだとはいえ、ちょっと玄関脇に出しておいただけなのに、すぐに消えてしまうというのは気味が悪い。怪しげな人が、アパート周辺をうろついていることも何回かあった。現在、住んでいるところでは、そういったことは一切ない。この差は何なのだろうか?

 一言でいってしまえば、近所関係が強いか弱いかである。前に住んでいたところは、アパートやマンションが多く、近所の人のことはもとより、隣に住んでいる人間さえよく知らなかった。前のアパートに引っ越したばかりのとき、仕事から帰った後に刑事が来たことがある。上に住んでいる女性に関しての訊き込みだったが、僕はただわかりませんというばかりであった。結局、その女性は薬物の不法所持で逮捕されたそうだが、僕は一度も顔を見たことさえなかったのである。それは僕が独身で、会社員をしていたということも少なからず影響していたと思う。

 勤務地が遠かったせいもあり、朝は七時前に家を出て、帰りは定時で上がったとしても七時半くらいになっていた。それに休日も地域の活動に参加するといったこともなかったから、近所の人のことをわからないのは当たり前だ。もし、僕が結婚していて子供でもいれば、好むと好まざるとに関わらず、多少なりとも近所の人との付き合いはあったはずである。

 現在住んでいる所では、周りはほとんど一軒家で、どの家庭にもお年寄りがいるため、昼間でも必ず誰かの目があり、木々や草花の手入れが好きな人が多いため、日中でも外で作業をしていたりする。家の前の道は舗装されていない私道で、行き止まりなので車が通り抜けるということがない。そういったことから、不審者の入りこむのはかなり難しいといえる。

 また、家と会社が近く、パートという身分のため五時きっかりで上がれることも多く、そうすると家に五時二十分には着いてしまう。今の季節だと、近所の人たちの井戸端会議と出くわすこともあり、話に加わらないまでも挨拶くらいはすることになる。妻は庭いじりが好きなため、よく隣の奥さんと話しているし、僕も一年間町内会の幹事をやったので、全員とはいかなくても近所に住んでいる人の顔はだいたい知っている。

 しかし、一度だけ、うちの町内会ではないようなのだけど、近所で泥棒に入られた家があるので注意するようにと隣の奥さんからいわれたことがあった。そのとき、庭の雑草は小まめに抜いて、庭木の剪定もするようにしてほしいと忠告された。雑草をあまり抜いてしまうと、土の部分が露出して暑苦しい感じになり嫌なのだが、隣の奥さんによると雑草がぼうぼうだったり、庭木の枝が伸び過ぎていると、この家はしっかりしていないと泥棒に狙われやすくなり、しいては近所にも類が及ぶという。

 昨年、庭木の枝が頻繁に切られるというということが起きた。いつもは大家さんが梅雨明けくらいにやってきて、大胆に剪定をしていたのだが、昨年は仕事から帰ると枝が切られているということが続いた。大家さんが忙しく時間が取れないため、今年は少しずつすることにしたのかと思っていたのだが、どうも勝手が違う。切る必要のないような枝まで切られていたり、中には折られたようになっているものまであった。

 気持ち悪いので、今度、大家さんに電話をして訊いてみようと、庭に出て切られた枝を見ながら妻と話し合った。その翌日、仕事に行こうとすると隣の奥さんに呼び止められた。彼女の話によると、法事でお寺に行った際に大家さんとばったり会ったという。何でも大家さんは腰を痛めてしまい、思うように体が動かないので今年は貸家の庭の手入れはできないといったそうだ。それで、隣の奥さんが自主的にうちの庭木の枝を切っていたのである。

 恐らく、僕と妻が庭で話しているのを聞いて、大家さんに確認されたらまずいと考え、先手を打って自分が切っていたと告白したのだろう。たとえ好意だとしても、他人の家の木の枝を勝手に切るというのはやり過ぎで、僕は「これからは自分たちでやりますから」といい、止めてもらった。それから、しばらくの間、隣の奥さんは僕と妻を避けるような仕草を見せるようになった。

 考えてみると隣近所との関係は難しい。隣近所との関係が緊密であることはいいことだと思うが、時によって煩わしいことになるので、着かず離れず、ちょうどいい距離感を保つことが必要である。隣の奥さんのケースは、必要以上に彼女が僕たちに親近感を持ち、干渉してきたため、揉め事の一歩手前までいってしまった。

 割れ窓理論というのがある。割れた窓を放置したままにしていると、その地域で犯罪が多発するようになるというものである。これは何も割れた窓に限らず、落書きやゴミの放置、無節操な花火の打ち上げなどでも犯罪件数が増加するという。隣の奥さんの説によると荒れた庭もこれに当てはまりそうである。

 今年も大家さんは腰の具合がよくないのか、庭木の剪定に来ていない。隣の奥さんが気を揉まない様に自分たちで、庭木の手入れをしなくてはいけないが、この暑さでついつい億劫になってしまい、木々の枝は伸び放題である。(2011.7.16)




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