年老いて

 部署の解体はさらに進み、仕事は減る一方である。会社側からそろそろ何かいってくるのではないかと思っているのだけど、今のところ何の話もない。暇なのも、一日二日くらいだったらいいのだが、これが秋くらいまで続くと考えると気が遠くなってくる。

 僕の最初に勤めた会社は繁閑の差の激しい職場だった。暇なときは半年も仕事のなかったことがあった。会社に行き、直属の上司に何をすればいいのか訊くのだが、「仕事のない時は、自分で考えて仕事をつくれ」といわれ、仕方なく、それまでにやった仕事の整理とかをしたが、そんなもの一週間で終わってしまい、会社に行ってもCAD室で寝ているだけの日々が続いた。そのうち、だんだんと出社することがイヤになってきた。

 その会社は京王線の分倍河原というところにあった。いつも通り家を出るのだが、どうしても出社する気になれず、分倍河原で降りないで終点の高尾山口まで行って、そこの公衆電話から「体調が悪いので休みます」と会社に連絡を入れ、高尾山に登って時間を過ごすということが何回かあった。その時に比べれば、今の方がまだましとはいえるのだが、先が見えないという点では不安は大きいかもしれない。しかし、休みたいと思うことはよくあるが、不思議と強い出社拒否は今のところない。

 今の仕事に就いたのは約八年前である。働き始めて三カ月くらいしたとき、延々と繰り返される単純作業に嫌気がさして、三日間会社を休んでしまったことがある。一日目は風邪で体調の悪かったということもあるが、二、三日目は完全なずる休みだった。ずる休みといっても軽い感じのものではなく、ウツの一歩手前の出社拒否症に近かったように思う。会社を辞めることまで考えていたのである。

 今も会社を辞めることを考えているが、最初の会社の時や八年前と違うのは精神的に追い詰められた感があまりないことだ。よくいれば冷静ということになるのだろうけど、年をとって鈍感になってきたのかもしれない。会社に行くことがそれほどイヤになることもなく、淡々と日々が過ぎて行く感じである。年を重ね、我慢強くなったとか、人間的に成長したとかいうことだったらいいのだけど、恐らくは年老いたというのが正解だろう。

 最近、以前に比べて、行動を起こす瞬発力がなくなってきたように思う。若い頃、このような状態に陥ったら、ハローワークに足繁く通い、求人誌を頻繁に見たりと素早い行動をとっていただろう。何故、動きが遅くなったかというと、体力的に動き回るのが億劫になってきたということ、そして、よくいえば諦観ということなのだろうが、諦めに似た精神状態にあることも確かである。

 働き始めてから八年の経ったということは、それだけ僕も年をとったということであり、次の仕事を探すにしても前回よりずっと厳しい状況である。それが、救命ボートにはなかなか乗れないだろうし、沈没する寸前まで船の上にいた方がいいというような精神状態を生んでいるのかもしれない。

 今の自分の状態を競馬に喩えるなら、セイフティリードなく、直線に入ってきた逃げ馬といったところだろうか。後続がひしひしと迫る中、逃げ切れるか捕まるかは、足が残っているか使い切ったかによる。(2011.6.9)




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