止まった時間

 テレビで、「3月11日から、時間が止まってしまいました」と話している被災者を見た。その男性は福島第一原発の半径20キロ圏内に住む人で、政府から退避指示が出されたため、とりあえず身の回りの物だけを持って避難した。その時は、すぐに帰れるものだと深刻には考えていなかったそうで、まさかこれほど長期化し、先の見えない状況になるとは想像していなかったという。その日以来、自宅に帰ることはできず、地震によって、被害を受けた家屋や仕事場も手付かずのままで、避難先の親戚のマンションで寂しそうに佇んでいる姿が映し出されていた。

 原発だけでなく、津波により家族や家、仕事、そして地域のコミュニティなどを奪われ、ただ立ち竦み、日々を重ねている人は大勢いるように思われる。全ては想い出になり、過去ばかりが脳裏に浮かび、未来のことを考えることができない。時間はあの日以来、止まってしまった。そのような被災者とは到底比べものにはならないが、僕の時間もあの日以来止まっている。震災前にやっていた仕事が未だに再開されないのである。

 震災前から部署の統合問題は出ては消えていたが、今度の震災で一時的に作業ができなくなったのをきっかけにして、‘ちょうどいい機会だから…’と会社側が考えたようである。それならそれで、説明があっていいようなものだが、これからどうするのかという見通しも示されないまま、‘当分は本社で…’ということになってしまった。

 現在はまだ細々と残務的な仕事が入ってはきているので、自宅待機とか、解雇とかいう話は出ていないが、これから夏にかけて仕事量は減る一方になるので、先行きはどうなるかわからない。夏を越して、秋まで我慢すれば、或いは新しい展開もあるかもしれないが、それもわずかな可能性である。

 よくよく考えてみれば、震災がなかったとしても、部署の統合・廃止といった問題はいずれ出てくる話だし、それが早まったと考えられなくもないが、唐突に今の状態になってしまったため、割り切れない気持ちでいっぱいである。しかし、いつまでも、フリーズしているわけにもいかない。止まった時間を動かすには、まず一歩を踏み出さなければならない。

 ゴールデンウィークが明けたら、ハローワークに行こうと思っている。この年になって、新しい仕事を探すというのは厳しいことだが、やるしかない。幸いにして、まだ失業しているわけではないから、多少の猶予はある。どうなるかはわからないが、今のところはじっくりと秋くらいまでには、自分に合った仕事を見つけたいと思う。悲観的にも、楽観的にもならず、できるだけ状況を正確にみて、淡々と続けることである。

 どうなるかはわからない。ただ今は、人事を尽くすことだけを考えている。(2011.5.7)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT