根岸森林公園

 日曜日、妻と桜を見に根岸森林公園に行ってきた。家から近い桜の名所は三ッ池公園や夢見ヶ崎動物公園などがあるが、たまには違う所に行ってみようということになったのである。何故、根岸森林公園になったかというと、競馬好きの僕の好みによる。 根岸森林公園は戦前、日本初の洋式競馬場として作られた根岸競馬場の跡地で、戦後、GHQに接収され、その後、米軍専用のゴルフ場になっていたが、接収解除後、横浜市が公園として整備した。

 午後二時半、JR京浜東北線の根岸駅に着き、改札口から出ると、何となく懐かしさを覚えるこぢんまりとしたバスターミナルの風景が目の前に広がった。その風景を見て、妻は感嘆の声を上げ、研修生として、日本に来て初めて暮らした街が根岸だったような気がするといった。バスターミナルの雰囲気、駅の改札から左右に伸びる道、周囲の建物、そして少し先を走っている交通量の多い道路、そんなものに見覚えがあるという。

 日本に来て初めての土地だったこと、そして暮らした期間は二カ月弱だったので、あまり記憶が確かではないらしい。花見の帰りに、駅周辺を歩いてみようということになり、駅前のスーパーで飲み物と鶏のから揚げにスナック菓子、その隣に合ったミスタードーナツでドーナツを三つ買って根岸森林公園に向かった。

 車の頻繁に走る道路を渡り、次の信号を左折して路地に入ると閑静な住宅街があり、路地の突き当たりは石段になっていて、花見を終えた人たちが上から次々と降りてくる。石段は上から降りてくる人とやっとすれ違えるくらいの狭さで、また、意外と長く、妻は途中で息を切らせていた。この石段の途中にも住宅があり、毎日、これを上るのは大変だなと思いながら歩いた。

 石段を上り切ると、不動坂という坂道に出る。これをまた上っていくと松任谷由美が「海を見ていた午後」で歌ったドルフィンというレストランがあり、坂を上り切ると米軍消防署に出る。米軍消防署の後に根岸森林公園は広がっているのだが、初めてなので入口がわからない。消防署の向かって左側に駐車場があったので、そちらにしばらく歩いたが、ずっと金網のフェンスが張り巡らされていて、中に入れない。仕方なく、今度は反対側に消防署を越えてしばらく歩いて行くと、バス停が見えてきて、やっと公園の入口に辿り着くことができた。

 公園の入口にはレストハウスがあり、その脇の階段を下っていくと、色とりどりの花の咲いている花壇があり、その向こうに芝生で覆われた広大な丘陵が広がっていた。奥の方の丘一面に桜が咲き誇っていて、あまりの美しさに妻は感嘆の声を上げた。しかし、次の瞬間にはもう、駅前で買ってきた食物を何処で食べようかと、僕に訊いてきた。

 人出は多かったが、芝生も広大なため、場所はいくらでもあったが、できれば桜の花の下がいいと思い、丘の方に向かった。しかし、さすがにいい場所は先客がいて、あまり人の多いところも嫌なので、桜から少し離れた池の近くの芝生の上に腰を下ろし、唐揚げとドーナツを食べた。池の周りでは多くの子供たちが遊んでいた。米軍の施設が隣接しているせいか、外国人の姿も多い。しばらく、ぼーっと遠くの桜を見ていたが、せっかく花見に来たのだから、桜の木の下を歩くことにした。

 池を回り込む形で、桜の木が生い茂っている丘に足を向けた。桜は丘の斜面に植えられていて、淡いピンクの屋根が出来ていた。桜の森の中に入ってしまうと、花弁で空が見えなくなるほどである。斜面のため、宴会をするにはあまりよくないが、多くのグループがシートを引いて、桜の花を楽しんでいた。

 桜の花の下をゆっくり歩いていると、何とも幸せな気持ちになれた。妻は近くを歩いていた女の人に声をかけ、デジカメのシャッターを押してもらった。その女の人は、日本人と思われたが、どうも韓国の人だったようである。友達といっしょに来ていたが、桜の花を見ているうちにはぐれてしまったらしく、だいぶ前を歩いていた友達に追いつき、元気のいい韓国語で話していた。

 桜の他に、この公園に来た目的は、廃墟となっている根岸競馬場の一等馬見所、今でいうと観戦スタンドを見ることだった。しかし、それが何処にあるのかよくわからない。桜の丘をほとんど一周して、谷のようになっている所に下りた。そこは八重桜の木々がたくさん植えられていたが、まだ咲いてはいなかった。ふと、丘の桜の方に目をやると、その後の方にそれらしい建物が顔をのぞかせている。桜の木々の丘を上り、もと来た道に戻り、外側の方に目をやると、くすんだ灰色の建物の頭の部分が見えた。

 森林公園から出て、米軍の施設を過ぎると、芝生で覆われた公園があり、その奥に根岸競馬場の残骸、一等馬見所の巨大な姿があった。それは忘れ去られたように建っていた。三つの塔は、静かに時の中に埋もれていた。

 一等馬見所の周辺も立派な公園になっていて、建物の正面には根岸競馬場の歴史を伝える写真やアメリカ人建築家J.H.モーガンの設計図などが、パネルに展示されていた。しかし、一等馬見所は金網で周囲を覆われ、中には侵入を監視する監視カメラが設置されており、特に修復や補修工事の予定もないらしく、朽ちるにまかせているようである。早く歴史的な建造物として保存する計画を立ててほしいと思った。

 公園からは閑静な住宅街が夕陽に佇む景色が見えて、穏やかな気分になった。公園内のベンチに座り、一等馬見所と近くに咲いている桜の花を見ながら、スナック菓子を食べた。そうしているうちに五時の鐘が何処からか聞こえてきて、名残り惜しいが、そろそろ帰路に着くことにした。

 根岸の駅前に戻り、妻の頼りない記憶を元にして、妻が日本に来て最初に暮らしていたという国際事業団の寮を探した。駅前を先程と反対側に行き、路地を一つずつ丹念に見て周ったが、結局、見つけることはできなかった。妻の話では部屋の窓から海が見えたという。

 家に帰ってから、古い横浜の地図を見ると、僕たちの歩いた一角に国際事業団の建物を見つけることが出来た。しかし、Googleの地図で確認すると、そこはマンションに変わっていて、妻の想い出の場所はひとつ失われていた。(2011.4.17)






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