寒い三月

 こんなに寒い三月が今までにあっただろうか?

 会社を午前中で早退して、バイクの住所変更手続きをするため、鮫洲にある東京運輸支局へ行った。僕のバイクは東京の母の家に置いたままになっているので、ナンバーを変えず、所有者の住所変更だけをするつもりだったが、それは僕の名義の公共料金の領収書がなければ認められないということで、バイクは品川ナンバーから横浜ナンバーに変わることになった。

 その帰り、不気味な雲が空を覆い、放射性物質の含まれている可能性のある雨がぽつりぽつりと落ち始めた。昔、理科の教師に、雨は降り始めに気をつけろと言われたことを思い出した。降り始めの雨は、特に空気中の有害物質を含んでいるという。ある程度、降ってしまった後では、空気が雨で洗われるため、有害物質の量は少なくなるらしい。

 ぽつり、ぽつりをいう程度だったが、僕はジーンズの後ポケットからハンカチを取り出し、頭に乗せた。三月の下旬とは思えないほどの冷たい風に心と体が縮こまる。駅に着き、ホームから見た空には、幾層にも低い雲が垂れこめていた。あまりの寒さに、待合室に入り、電車を待った。時計を見ると、三時を少し過ぎ、計画停電の時刻が近づいていた。

 電車を乗り継ぎ、四時少し前に家の最寄駅に着いた。辺りはすでに停電が始まっていて、駅前の八百屋だけが店を開けていた。駅の反対側にあるスーパーを覗いたが、すでにシャッターが閉まっていた。ふと、皮ジャンのポケットに振動を感じ、携帯を取り出すと妻からだった。

 計画停電のため会社は三時で終業になり、妻はすでに家に着いていた。今日の夕食の当番は僕なので、食材を買わなくてはならない。野菜類は八百屋で買えるにしても、メインの魚か肉は近所では手に入らないため、仕方なく電車に乗り二駅先のKまで行くことにした。ここも計画停電のエリアに入っているが、駅に隣接するショッピングモールは、停電になっていなかったような気がしたのである。

 果たして、ショッピングモールは人の流れがあった。一階にあるスーパーに買い物に行ったが、広過ぎて何処に何があるのか見つけるのが大変で、時間がかかってしまった。家に帰り、停電の終わった六時半過ぎから夕食を作り始めた。食事の終わった後、特に何をしたというわけではないが、心身ともに疲れていたようで、ちょっとしたことで、妻のことを怒鳴ってしまった。こういうとき、自分はつくづく弱い人間だと思う。

 計画停電の影響は仕事面でも暗い影を落とし始めている。地震により、激減した仕事に加え、計画停電で満足に作業できないため、以前から燻り続けていた部署の統合の話がまた浮上しているのである。部署の統合ということになれば、遅かれ早かれ、僕の仕事は無くなる。それがストレスを増大させ、不安な気持ちが爆発して、妻に向かったのである。自分のことばかり考えているから、こういうことになるのである。仕事がなくなったら、また、探せばいいと無理にでも強気でいることにした。

 計画停電は18時20分から22時までが一番嫌な気がしていたが、実際は15時20分から19時の方が僕にとっては性質が悪い。18時20分からだと、買い物はできるし、ご飯を炊いておくこともできるし、ある程度部屋の中を暖めておくこともできるが、15時20分からだと、近所も全て停電になるため、下手をすると、何の食べ物も用意できない可能性があり、何の準備もできないまま停電に突入することになる。

 それにしても、何と寒い三月なのだろう。暖房を点けることのできない部屋では、寒くて、寒くて、我慢できないほどだ。しかし、足は遅いが、春は確実に近づいているはずである。耐えていれば、いつかきっと暖かくなる。もう、少しの辛抱だと思った。(2011.3.31)




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