雨に濡れても

 天気予報をあまく見ていた。夕方から雨という予報は知っていたのだが、どうせ降らないだろうし、降っても大したことないだろうと、勝手に思い込み傘を持っていかなかった。仕事が終わり、外に出てみると、意外に強い雨が降っていた。夏の雨なら、濡れるのはさほど嫌ではないが、冬の冷たい雨である。早歩きで駅まで向かったが、駅に通じるショッピングセンターの中に入ったときには、頭とダウンジャケットの肩や両腕の辺りがぐっしょりと濡れていた。

 さらに、今日の夕食当番は僕なので、スーパーにも寄らなくてはならないのである。駅から自宅までは徒歩で五分くらいであるが、スーパーは駅の反対側にあるため、その往復でプラス五分になる。重ねて悪いことには、米がなくなりかけていたので、五キロのコメ袋を持って雨の中を歩かなくてはいけないのだ。

 自宅の最寄駅に着いた頃には、辺りはすっかりと暗くなっていて、どのくらい雨が降っているのかよく見えなくなっていた。案外、小振りになっているのかもしれないと、駅舎の外に出ると、冷たい雨粒が顔に当たった。雨はちっとも小振りにはなっていなかったのである。さらに気温は下がり、雨に濡れるのは気が進まないが、待っていても止む気配はないし、雨の中を歩きだした。

 以前、誰かが天気予報は見ない方がいいといっていたのを思い出した。天気予報を見て、「今日は夕方から雨になりそうだから、傘を持っていこう」という人生より、雨に降られて濡れる人生の方が味わい深いというのがその人の持論のようである。雨に降られることによって、いろいろな方向に人生が広がっていく可能性があるという。

 雨を避けるため、今まで入ったことのない喫茶店に入り、そこで美味しいコーヒーを飲めたり、本屋に入って立ち読みをして面白い本に出会ったり、また、軒下でいっしょに雨宿りしている人と言葉を交わしたりといろいろな方向に物事が転がっていったりする。雨の中、傘をさして真っ直ぐ家路に着く人生では、こうはいかない。転ばないように常に備えていると人間が小さくなってしまう。失敗や多少の不利益を恐れず、そこから何かを掴もうということらしい。

 雨の中を歩く出した僕は、まず線路を越えてスーパーへ行った。ライバル店ができたことにより、売り上げが落ちたらしく、品揃えが以前に比べてかなり寂しくなっている。特に魚などスカスカのときもあるくらいだ。この日はそれに加えて雨のため、さらに客足は遠のいているようで、意外と品物が残っていた。ブリ大根でも作るかと、ブリと大根、付け合わせにする野菜と米を買い、スーパーを出て、再び線路を渡り、家に向かった。

 冷え込みはさらに増し、雨というより、雪も混じっている感じになっていた。どうせなら雪に変わらないかと思っていたら、知らぬ間に雪に変わっていたようで、寝る前に歯磨きをしながら何気なく窓を開け外を見た妻が、声を上げた。外を見ると、雪がかなりの積もっているではないか。天気予報では、みぞれが混じるかもしれないが、雪が積もるとはいっていなかった。久しぶりに見る雪景色は夜であったが、やはりきれいだった。寒いのも忘れたまま、僕たちはしばらくその景色を眺めていた。(2011.2.26)




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