空地の猫

 会社の斜め向かいにあったビルが取り壊されて空地になった。取り壊されたのは、大通りに面した正面に理髪店が店を構え、その大通りから伸びる路地に面した側面にはバーがあり、上の階には雀荘や消費者金融などが入る古びた雑居ビルで、外壁は薄汚れた灰色をしており、路地に面したバーには、ヤクザらしき人物がよく出入りしていて、店主と思われる男性を怒鳴りつけていることもあった。

 ビルの解体が始まったのは夏の終わりくらいからで、外壁が取り壊され、露わになった内部は何度も建て増しの行われたような複雑な構造をしていた。同じ階でも正面と奥では高さが違っていたようで、数段の階段があり、理髪店とバーは絡み合うように存在していた。

 そのような構造が興味を引いたのか、外階段のベランダで煙草を吸ったり、缶コーヒーを飲みながら解体作業を見ている従業員をよく見かけた。しかし、瓦礫ばかりになると、誰も見向きもしなくなり、やがて、それも取り除かれ、きれいに整地された。

 更地になった土地では、地鎮祭が行われた。後には、マンションが建設されるようで、細長い土地なので高級というわけにはいかないだろうが、駅から近いため需要はありそうである。

 ある日、他の階に用事があるため、外階段を上りながら地鎮祭の名残りの残る空地に目をやると、冬の低い陽が地面に差し込んでいる場所に一匹の白と黒の虎模様をした猫がちょこんと気持ちよさそうに座っていた。そして、そこはその猫のお気に入りの場所となったみたいで、陽が差し込んでくる午後二時過ぎくらいになると必ず現われるようになった。

 その猫を眺めていると何ともうらやましい気持ちになった。何もせず、ただ自身の生理的な気持ちよさだけを味わっている姿に羨望を感じたのである。人間、それも年をとってくると、‘何もしない’ということに罪悪感を覚えるようになる。常に何かをしていないと不安で、昔に付き合っていた女性は「私は、休日に予定が入っていないとダメなの」といっていた。

 僕は結構、何もしないでウダウダしているのは好きなのではあるが、何もしないでいると家族から心配されたり、批難されたりするので、そういう時間をなかなか多く持つことはできない。そこにいくと、誰からも何の批難も受けずに、自分の好きなままにいられる猫に変われるものなら変わりたいような気がした。

 そういえば、会社と横のコンビニとの隙間に、ホームレスが住みついたことがあった。何処からか食糧を仕入れ、シートの上で食べていた。僕が会社に着く頃は、すでに起きて活動をしていた。さすがに大便はそこにはしなかったが、小の方は奥まったところで済ませているようで、尿の流れていることがあった。そんなこともあり、住みついて一週間もしないうちに、警察に通報されて、退去ということになったようだ。

 勤務先の最寄駅の西口が再開発されてから、ホームレスの締め出しが、いろいろなレベルで行われている。それまで黙認していた駅構内での寝泊まりを全面禁止にするといったものから、ベンチの真ん中辺りに肘掛を取り付け横になれないようにしたりと、何処か寒々としたものを感じさせる。街の‘空地’は時と共に無くなり、全てが‘意味あるもの’で埋め尽くされていく。

 雑居ビルの空地はしばらく更地のままで、猫の格好の日向ぼっこの場所になっていたが、今週になって前面に鉄板が引きつめられ、いよいよマンションの建設が始まるようである。鉄板が引きつめられてからは、人がいないときも猫は姿を見せなくなってしまった。新たな彼の日向ぼっこの場所は、見つかったのだろうか?(2010.11.20)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT