定刻通り

 土曜日、母の家に行こうと電車に乗った。JRから私鉄への乗り換えで切符を買い、改札を通り、電車の発車時刻を知らせる電光掲示板を見ると9時44分発というのがあり、その横にある時計を見たら9時43分だった。

 しかし、改札からホームまで行くのに1分もかからないはずだから、僕は慌てず、普通に歩いてホームに向かった。ホームに繋がる階段の下に来た時、上からかなりの人が降りてきた。そのホームには別路線の電車も停車するため、そっちの方だろうと思い、階段を上って行くと、僕の乗る方のホームから電車が離れていくのが見えた。時間前に発車してしまったのかと思い、ホームの時計を見ると9時44分だった。

 いくら順調に来ているからといって、電車が定刻前に発車してしまうとは思えないから、恐らく9時44分になってすぐに出てしまったのだろう。それにしても、9時44分にホームに着いたのに、9時44分発の電車に乗れないとは、がっかりした。あまり定刻通りに運行するのも考えものだと思ったが、以前、もっと酷い目にあったことがある。バスである。

 妻と付き合っていた頃、日曜日、妻の暮らしているアパートに遊びに行き、最終のバスに乗って帰るということがよくあった。最終のバスを逃してしまうと、駅まで歩かなければならず、まあ、歩いて歩けない距離ではないのだけど、30分くらいはかかるのでいつも最終バスに間に合うように、泣く泣く、妻の部屋を出ていたのである。

 ある日、いつも通り最終バスに間に合うように部屋を出て、路地を歩いていると、目の前の通りをバスが通り過ぎていくのが見えた。慌てて走ったが、すでにバスはすでに停留所を過ぎ、最終を示す赤い行き先表示灯が恨めしそうに遠ざかって行った。時計を見ると、まだ、1、2分、バスの到着時刻には間があった。バスは時刻表に載っている時刻より前に、停留所を過ぎていたのである。

 バスといえば時刻通りの運行しない代名詞であるが、夜も遅くなると道も空いているし、乗る人もあまりいないから、調子よく進み過ぎてしまったようである。実際にその最終バスにはいつも僕を含めて3、4人の乗客しか乗っておらず、駅までの停留所で待っている人もほとんどいなくて、素通りのことが多かった。バスの運転手も早く勤務を終えて、家に帰りたいという気持ちがあったのかもしれない。妻と結婚した後、義姉の家を訪ねた時も、時刻表の時刻よりも前に、バスが行ってしまうということがあった。このときは、ほとんど人通りのない暗い夜道を一時間近くかけてJRの駅まで歩くことになった。

 最近、電車に乗っていると1分の遅れでも、お詫びのアナウンスの入ることがある。僕には異常なことのように思われる。5分以上遅れたのならまだわかる気もするが、どう考えても1分など遅れのうちに入らない。世の中全体があまりにも時間に厳しくなり過ぎているのではないだろうか。

 実際に電車など2、3分遅れで運行してもらった方が、乗り逃がすことも減って助かるような気がする。9時44分発の電車に乗ろうと思い、44分にホームに着いたら、もう発車した後だったというのは、どうも納得がいかないのである。

 最近は、あまりなくなったが、昔はよく仕事や遊びで遅くなり終電になることがあった。その時、車掌さんは人影の見えなくなるまで、電車を発車させなかったし、乗り継ぎの電車に遅れの出ているときは、到着するまで待っていた。また、終電でなくても、電車の乗ろうと走っている人がいれば、その人が乗り込むまで待っていたりした。もっとも、これは、僕のよく乗っていた私鉄は3両編成だったので、ホームが容易に見渡せたからだろうけど。(2010.11.11)




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