塩の道ハイキング

 鎌倉の朝比奈ハイキングコースを妻と歩きに行った。以前にも書いたが、妻は今年に入ってから太り気味で、ダイエットと称していろいろとやっているようだがほとんど何の効果もなく、またハイキングにでも行こうと誘ったのである。妻にはそのようにいったのだが、それは全くの嘘で本当は自分の楽しみのために行きたかったのだ。

 僕は道をひたすら放浪するのが好きだ。バイクであれ、自転車であれ、徒歩であれ、道を移動しながら、周りの風景を見るのが好きだ。バイクであればツーリング、自転車であればサイクリング、徒歩であれば散歩ということになるのだろうけど、本質的な愉しみは同じような気がする。違いがあるとすれば移動速度と移動距離ということになる。徒歩は何といっても、ゆっくりなので周りの風景をゆっくりと楽しめ、きれいな花が咲いているとか、面白そうなお店があるとか、細かいところまで見ることができるし、気軽に出かけられるのでいい。

 朝比奈ハイキングコースはその昔、多くの物資が行きかった金沢街道の旧道である。物資の中でも特に重要だったのが塩で、古の塩商人たちが相模から武蔵へと国を越えて旅した。その足跡を辿る今度のハイキングコースは前々から歩いてみたかったのである。

 お昼過ぎに自宅を出発して、鎌倉駅には2時少し前に着いた。途中まではバスで行った方が効率的なのだが、歩いて行った方が楽しいと思い、鶴岡八幡宮まで歩き、八幡宮前を右に曲がってあとは道なりに歩く。途中のコンビニで昼食用のおにぎりとお茶を買い、明王院を目指すが知らぬ間に行き過ぎてしまった。戻るのも厄介だし、本当に歩きたいのは三郎の滝からの切通しの道なので、先を急ぐことにした。

 途中、光触寺に立ち寄り、十二所神社の鳥居が見えてくる辺りから右手に分かれる金沢街道の旧道に入る。少し歩くと小さな公園があったので、ここでおにぎりを食べ、ハイキングコースに向かった。川沿いの道を歩いて行くと、舗装されていた道が山道になり、左手に断崖が続くようになる。断崖の最上部に洞窟のような大きな窪みがあるところもあり、その昔、あそこに住みついていた人もいたのではないかと思った。

 しばらく歩くと滝が見えてきた。三郎の滝である。水はチョロチョロとしか流れていなかった。ここで道は熊野神社と朝比奈峠の二手に分かれているが、左手の朝比奈峠の方へ向かう。切通しの道で緩やかな上りが続き、道の左側には水が流れ、清流の溜まり場にはミズスマシが泳いでいた。路面は固く締まっているが、沢沿いなので湿っていて滑りやすい。妻は時々、転びそうになって悲鳴を上げていた。正にガレ場という感じの道が続くが、朝比奈峠に近づくと傾斜は緩やかになり、左手にあった沢も消え、普通の山道といった趣になる。

 朝比奈峠の両側は高い崖が反り立ち、その右手の岩肌には仏像がレリーフのように彫られている。この峠を越えると鎌倉市から横浜市に入ることになる。横浜側は鎌倉側に比べるとずいぶんと歩きやすい。道の両側には切り立った岩肌が続く。あまりに見事な切通しなので妻を立たせて、写真を撮った。写真だけ見たら、ここが横浜だとは誰も思わないであろう。道を下って行くと、熊野神社の分かれ道があり、さらに下って行くと車の走る音が聞こえてくる。しばらく歩くと、切通しの道の上に道路の走っている所に出た。上の道路は横浜横須賀道路で、それを過ぎると切通しの道は終わり、路面は舗装路に変わり、工場の前に出る。この工場で働いている人を羨ましく思った。

 先に進むと、自動車の行きかう道路に出た。妻がトイレに行きたくなったというので、コンビニに入った。妻に「トイレだけを借りるのは悪いから、チョコレートでも買ってきて」と頼むと、妻はチョコレートの他にアイスキャンディーも買ってきた。

 それがレモン味のうえ大きく、僕は三分の一くらいしか食べることができず、残りを妻に渡した。妻は自分の分と僕の残りと、約2つ分のアイスキャンディーをひとりで食べた。僕は頼みもしないのにアイスキャンディーを妻が買ってきたことが腹立たしく、「暑いときにこういうものを食べると余計にのどが乾くんだよ」とか「こんな大きなものを食べたら、お腹が冷えて痛くなる」とかさんざん小言を言った。妻は僕の小言には慣れているせいか、あまり気にしていないようであったが、僕は我ながら嫌な性格だなと自分を恥ずかしく思った。

 「これからどうするの?」と妻に訊かれた。少しいったところにある鼻欠地蔵まで行ってみようと思っていたが、暑さにやられたようであまり気分が乗らず、元来た道を引き返すことにした。来た道を引き返すことに妻は不満をいったが、他にどうしようもない。バスに乗って鎌倉駅まで戻るという選択もあったが、歩いた方が楽しそうだった。熊野神社の方に回れば、行きと全く同じ道ということもない。しかし、これがいけなかった。

 来た道を戻り、熊野神社との朝比奈峠の分かれ道で熊野神社方面に向かった。杉林の中の平坦で歩きやすい道だった。10分くらい歩くと熊野神社に着いた。石段を上り、本殿に参拝してから熊野神社の裏山の散策路を三郎の滝に向かって歩く。途中で何回か分岐があったが、いわゆる‘道なり’に進む。すると‘熊野神社・朝比奈峠’と‘東朝比奈三信住宅’との標識が現れた。熊野神社方面から来たので、東朝比奈方面に進むしかないが、何となく違う気がした。

 やがて道は岩が露出した急な下り坂になり、さらに下っていくと‘水道局管理地立ち入り禁止’と書かれ柵で覆われたところにでた。立ち入り禁止の柵沿いに下って行くと、三郎の滝に出るはずだったのが、畑の真ん中に出てしまった。何処だかさっぱりわからない。いくつかあった分岐を間違って選択してしまったらしい。

 仕方がない、少し歩けば場所の特定ができるだろうと思い、畑の中の道を進むと横浜横須賀道路らしい高架があった。適当に勘に任せて歩いて行くと、環状4号線という道路に出た。ここを左折して進むとT字路に行き当たり、そこをまた勘に任せて左折して少し歩くと、見たことのあるようなコンビニが前方に見えてきた。妻がトイレを借りて、大きなレモン味のアイスキャンディーを買ったあのコンビニであった。僕たちは山の中を道に迷い、また同じところに戻ってしまったのである。

 さすがに僕も妻も歩く気力もなくなり、バス停でバスを待った。停留所にある時刻表を見ると30分以上は待つことになりそうだったが、道が渋滞していたらしく行ってしまったと思っていたバスが5分くらいでやってきた。不幸中の幸いであった。

 帰りの電車で妻は余程疲れたものと見えて、大口を開けて寝ていた。(2010.6.13)




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