家の近くに工場ができた

 家の近くに大きな工場ができた。いや、工場は前からあったのだけど、以前は町工場に毛が生えた程度だったのが、4階建ての立派な建物になったのだ。そのため、今の時期だと午後4時を過ぎると、その建物に太陽が遮られ、ベランダに干してある洗濯物に陽が当たらなくなってしまった。前は平屋だったので、遠くを走る電車の高架まで見られたのだけど、今は貨物列車の音だけが聞こえてくる。

 大きな建物に建て替えたことによって、従業員をかなり増員したらしく、仕事を終え6時過ぎに駅から家に向かって歩いていると、中国語やスペイン語を話しながら歩いている多くの女性たちとすれ違う。工場の裏門がちょうど僕の帰路にあるのだ。

 駅などに置いてあるフリーの求人誌を見ていたら、たまたまこの工場の求人が載っていた。それによると勤務は二交代制で24時間稼働しているようだ。そういえば、冬の間は窓を閉め切っているから気づかなかったけれど、ここのところ陽気がよくなってきたので、夜、窓を開けていると中国語やスペイン語の女性たちの声高な会話や嬌声が聞こえてくることがある。工場自体から騒音はほとんどしないのだけど、朝早く、ブーンというような低い音が聞こえて目覚めてしまうこともある。

 しかし、家から見えるところに、一晩中働いている人たちがいるというのは、不思議な感覚になる。何というか、独特の安堵感を覚えるのだ。以前、住んでいたアパートで、前の道路の夜間工事があり、一晩中、警備員の人たちがいたことがあったが、そのときも何ともいえない安らぎのような感覚を覚えた。

 この感覚を説明するのは難しい。最近はなかなか行けなくなってしまったが、結婚する前は、バイクにテントとシュラフを積んでツーリングするのが好きだった。行き先は北海道がほとんどだった。それは大自然があり、バイクツーリングには最高の場所だったからだが、キャンプ場が充実していたことも大きかった。無料の素晴らしいキャンプ場が道内のいたるところにあり、たとえソロツーリングであったとしても、ひとり寂しくテントを張るということは皆無だった。話しをしなくても、周りで多くの人たちがキャンプをしているということにより、安心感があった。今、僕が感じている感覚はそれに近いような気がする。

 しかし、北海道以外の地域にツーリングに行ったときは、キャンプをしているのは僕だけということが何回かあった。そんなとき、何ともいえない心細さを覚え、緊張と不安でなかなか寝つけなかった記憶がある。誰かいてくれたらなと思いながら、テントの中で本を読んだりして、不安を紛らわせていた。

 独りでキャンプをしているとき、人恋しい気持ちになった。しかし、その反面、独りでキャンプをしているとき、一番怖いのも人間だった。他のキャンパーが来ないかなと思いながら、暴走族やわけのわからない若者など、変な人が来たらイヤだなとも思っていたのである。

 現在住んでいる家の近くには工場の他に公園もある。もし、この公園に夜な夜な暴走族が集まって大騒ぎをしていたら、いくら近くに人々がいるからといって、今、感じているような感覚にはならないだろう。やはり、‘深夜に働いている人’が近くにいることで、安堵感を覚えるのだ。

 今夜もまた多くの人たちが一晩中働いていることに想いを巡らせながら、僕は床に就く。(2010.5.8)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT