サイレント・テロ

 今年に入ってから会社はパートに労働時間の削減をするように指示をしてきた。朝9時からの人は10時出勤に、午後5時退社の人は4時に退社し、週5日勤務の人は4日にするようにとのことだった。しかし、僕の在籍する部署では人員がかなり減ってしまったため、そのようなことをすると仕事の回らなくなる恐れがあり、たまに朝遅く出勤したり、仕事の暇なときに多少早くあがったりしてお茶を濁していた。

 そのうち仕事も多少忙しくなってきて、そんなこと忘れかけていたが、4月になってまた一月の労働時間が160時間を超えないようにとの注意があった。160時間というのは、今、勤めている会社では月160時間を超えた分については時給が25パーセント増しになるので、その分を払いたくないということなのだろう。全く気持ちよく、働けない状況になってしまった。

 160時間以内という心理的な圧迫感は大きい。時給で働いている者にとっては、給与の上限が自ずと決まってしまうわけで、労働意欲は著しく低下する。日本が現在のような状態になってしまった原因の一端を見る思いである。このようなことは、どこでも行われているだろうが、昼食をよく買いに行くお弁当屋さんでも経費削減の現場を見ることになった。

 2軒のお弁当屋さんが店を並べてそれぞれ販売していたのであるが、最近になって会計する人がひとりになってしまったのである。つまり、2軒分の会計をひとりでやっているわけである。片方の弁当屋がもう一軒の弁当屋に販売委託料を払って、販売員をひとり削減したものと思われる。よく、「ひとつのレジに10人が並んでいました。レジをふたつにしたら、それぞれ何人ずつ並ぶでしょうか?」というような問題が出されることがあるが、会計をする人がひとりになってしまったため、それとは逆の現象が起きて今までにはなかった長い行列ができることになってしまった。

 弁当の販売委託料は人ひとりを雇うより安いのだろう。人員削減した弁当屋も、委託料を受け取っている弁当屋も得したことになる。しかし、その陰でひとりの人間の雇用が失われたのだ。経費削減、効率化のため、人を減らし、時間を減らし、それで景気がよくなるわけはない。

 職場を解雇されたり、勤務時間を削減された人たちは、消費を極力おさえ、晩婚化し、子供を持つことを諦め、本人が意識しないままサイレント・テロを行うことになる。思想的な指導者もなく、堅苦しい組織もなく、無意識のうちに誰もが参加する可能性のあるサイレント・テロはその名の通り静かに、しかし、深く、そして広く浸透していく。経費削減・効率化の名目で人間を物扱いしている企業は、自分で自分の首を絞めているのである。

 晩婚化・少子化、三万人を超える自殺者、若者の車・テレビ離れ、今の日本社会を写し出している鏡のようだ。「会社は君たちの生活のためにあるものじゃないからね」以前、現在勤務している会社の課長に言われた言葉である。企業というものは、その規模に応じた社会的責任を負わなければいけないものだと思う。それをほとんど放棄している現状に明日は見えない。(2010.4.18)




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