表情

 木曜日、仕事から帰ると二階にある電話が鳴った。階段を駆け上がり出ると、弟からでこれから家に来るという。何でも父の香典のお返しが用意できたので、持っていくということだった。そうかと頷いて、何時くらいになるかと訊くと、自転車で行くから一時間くらいかなとこともなげに言った。自転車と聞いて驚いた。前も自転車で行くと言っていたことはあったが、そのときは母も同行することになったため、電車で来たのだった。

 確かに東京の城南にある弟の家から、横浜の北のはずれにある我が家まで、自転車で来られない距離ではないと思うが、すでに辺りは暗くなっているし、荷物もあるし、かなり大変のような気がして、電車にするように言ったのだが、弟は大丈夫と言って電話を切った。

 妻に弟が急に来ることになったことを告げ、夕飯をどうしようかと思ったのだが、すでに料理は八割方完成しているし、弟も電話で訊いたときにもう食べたと言っていたので、ジュースとお菓子を用意することにし、近くにスーパーまで買いに行った。妻は弟が何時に来るのか気になるようで、さかんに質問してきた。食事中になったら、いくら食べてきたとはいえ、僕たちだけで食べているわけにもいかないし、心配しているようだった。

 「自転車で来るといっていたから、まあ、どんなに早くても後一時間はかかるよ。8時前に来ることはないだろう」と僕は言っていたのだが、40分後には家の呼び鈴が鳴った。
 「いやー、すぐ近くまで来ていたんだけど、暗いから道に迷ってこの辺りを10分くらいグルグル回っていたよ」と玄関に入るなり弟は言った。弟の自転車には妻の親戚関係とうちへのお返しの袋が大小6つも積載されていた。
 「よく、持ってきたな」と僕は感嘆した。
 「前のカゴに2つでしょ。それから左右のハンドルに1つずつ。そして大きいの2つは荷台にくくりつけて来たよ。これは昨日から準備していたからね」と弟は得意気に言った。

 弟に上がってもらい、いっしょに夕食をとった。弟が来た時、ちょうど料理をとりわけていたのだ。僕の分からと妻の分から適当に取って、弟の皿に盛り付けた。
 「食事時だったんだ。悪い、悪い」と弟は言って、料理を食べた。その食べっぷりから、「もう食べた」と言ったのは僕たちに気を使ってのことだと思った。

 その後、僕の買ってきたジュースを飲み、お菓子をつまみながらいろいろと話した。弟は僕と違って話好きで、また意外と情報通でもあるので、話題は豊富なのである。近所のアパートの間取りの話から始まって、マンションの価格のことや、売れ行き、地方の一戸建て住宅のことなどいろいろと調べているようだった。

 妻も話好きなので、いつしか僕は二人の話を「うん、うん」と聞いているだけになってしまった。9時を少し過ぎた頃、弟は帰って行った。改めて荷物のない弟の自転車を見ると、所謂ママチャリと呼ばれるようなもので、サドルが一番下まで下げられていた。それを漕ぐ弟はちょっと危ないおじさんのように見えた。

 しかし、弟の表情は以前に比べてずいぶんと健康的になった。前は、やや浮腫んだ感じで、顔色もどす黒く、肝臓の病気を心配したほどで、話す時もおどおどしているように見えた。それが、この日は顔もすっきりして表情も明るく、話す素振りも何処か自信あり気な感じだった。父の葬儀を取り仕切り、多くの人たちと関わりを持ったことによって変わってきたのかもしれないと思った。

 弟の帰った後、僕はかなりの疲労を覚えた。いきなり弟が訪ねてきたことで疲れたのかなと思ったが、原因は風邪だったようで、翌日の金曜日の夜から猛烈にのどが痛み出した。これは高熱が出るのではないかと思ったが、なかなか熱は出ず、日曜日の朝になってようやく37度を記憶した。その後じりじりと上がり、日曜日の夜には37.7度までになったが、月曜日の朝には下がっていた。

 のどの痛み出したときはインフルエンザかと思ったが、こうも簡単に治ってしまうということはただの風邪だったのかもしれない。一応、月曜日は大事をとって仕事を休んだが、風邪の治りかけのときに会社を休むのは愉しい気分になる。いろいろと‘予定’を立てたが、少し横になったら、そのまま1時ちょっと前まで寝てしまい、あっという間に愉しいひとときは過ぎて行った。

 日が暮れると、もう明日のことが気になり、憂鬱になった。(2010.3.7)




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