巡礼古道ハイキング

 今年に入って妻の体重は増える一方である。昨年の暮れから一月下旬まで、人と会うことが多く、その度にカロリーの高そうなものをたくさん食べたことが一番の要因だと思われるが、寒さで休日もあまり外出しなくなったことも関係しているのだろう。妻に訊くと膝の具合もだいぶよくなったということだったので、久しぶりに何処かに行こうということになり、鎌倉のハイキングコースを歩くことにした。

 鎌倉にはいくつものハイキングコースがあるが、今まで歩いたことのない巡礼古道コースへ行くことにした。JR逗子駅から岩殿寺−法性寺−巡礼古道−報国時−杉本寺−JR鎌倉駅と歩く予定をたて、コースからは外れるが法性寺から名越切通しにも寄ってみようと思った。

 日曜日、いつもより早く起きて、妻は洗濯を、僕は掃除をして、簡単な朝食をとり、12時半に家を出て、JR逗子駅に着いたのは1時半くらいだった。まずは岩殿寺だが、ハイキングコースに入ったら、水分や食糧を売っているところはないので、まずは駅近くにあったコンビニに入っておにぎり3個とそれぞれの飲み物、肉まんふたつ、それにチョコレートを買った。

 ネットから印刷した地図をもとにして岩殿寺に向かったが、道の所々に案内標識があり、道に迷うことになくすんなりと行くことが出来た。岩殿寺の付近は閑静な住宅街でこんなところに住めたらいいなと思いながら歩いていると、細い道の先に延々と続く石段が見え、妻は天を仰いだ。

 「そんなに長くないよ」と慰め、拝観料の100円を木箱に入れて山門をくぐり石段を登ると、その横には水仙がたくさん植えられていて、白い可憐な花からはいい香りが漂っていた。「夕方くらいが、一番いい匂いがするんだよね」と妻は言った。

 水仙を愛でながら石段を登ると木々に囲まれた観音堂に行きついた。観音堂に辺りにはカメラを持った老人が三人と、赤と黒のチェックのシャツをきた若い男性が一人いた。年寄りたちの方はカメラを手に、思い思いのところにレンズを向けていたが、やがてゆっくりと石段を下りて行った。若い男性の方は、僕たちが来てからずっと観音堂の中を覗き込んでいて、早くお参りをしたいと思っているのだが、しづらい雰囲気だった。仕方がないのでベンチに腰を下ろして、肉まんを食べることにした。歩いている間に冷えてしまったのではないかと心配だったが、まだ十分に温かくおいしかった。

 肉まんを食べているうちに赤と黒のチェックのシャツを着た若い男性は観音堂の裏手にある奥の院観音の方へ行ったようで姿が見えなくなっていた。僕たちもお参りをした後、奥の院観音へ行くとそこに先程の男性がいてやはり熱心に観音を見ていた。僕たちが近づいていくと、気まずくなったのか足早に立ち去っていった。

 再び観音堂の前に出ると裏山の方へ続く道があり、そこを男性が登って行くのが見えた。僕たちも彼の後についてその道を上って行ったが、あまり面白そうではなかったので、途中で引き返した。

 次に法性寺に向かった。岩殿寺のある奥まった住宅街から再び横須賀線線路沿いの道に出て、それが二股に分かれているところで線路を渡らずに細い山門のある道に入った。地図上ではこの先にハイキングコースは続いているはずだが、周りの雰囲気の寂しさに不安な気持ちを覚えた。

 道はだんだんと急な上り坂になり、つづら折りを上り終えると平坦になって、先に墓地が見え、その手前にお寺の境内があった。そこにあったベンチに腰掛け、残りのお握りを食べていると、黒縁メガネをかけリュックを背負った中年の男性がガイドを片手に境内に入って来て、お寺にお参りをした。彼もどうやら僕たちを同じハイキングコースを歩いているらしかった。この先のハイキングコースがいまひとつ不明瞭だったので、僕は彼がどちらに進んでいくか注意していた。

 中年の男性はしばらく境内を丹念に見て周っていたが、お墓の方へ歩き出した。彼を目で追っていると、どんどんと墓地の中へ入って行く。墓地の終わり辺りからハイキングコースが始まっているのかと思っていると、やはり道を間違えたらしく、墓地の下を走っている道に下りてきて、やがて姿は見えなくなった。

 お握りを食べ終え、僕たちも墓地の下側に続いている道を歩き出した。少しすると山道になり、自然が身近に感じられ気分がよくなった。典型的な鎌倉のハイキングコースといった趣だ。鎌倉のハイキングコースは独特である。それは住宅地が近いということも関係しているだろうが、裏山を歩いているような感覚だ。ジョギングをしている人や犬の散歩をしている人たちによく会う。しかし、時として化粧坂など荒削りで険しいところが顔をだし、驚きを与えてくれるのである。

 ハイキングコースを歩いていると、道は二股になった。左は名越切通し、右は衣張山・巡礼古道への道である。向かう方向は巡礼古道だが、名越切通しも見てみたいので、まずはそちらに向かった。しかし、残念なことに2月下旬まで保全工事のため通行止めになっており、その一部だけしか見ることはできなかった。

 また、来た道を引き返し、巡礼古道の方へ向かった。すると岩殿寺で会った赤と黒のチェックのシャツを着た男性が前から歩いてきた。岩殿寺ではほとんど後姿しか見えず、ただ若いという感じがしていたが、実際に20代前半くらいと思われた。先程は僕たちを避けるような雰囲気があったが、彼も僕たちを確認するとにっこりとして、すれ違いざまに「こんにちは!」と元気よく声をかけてくれた。僕たちも「こんにちは!」と返した。

 道は平坦で楽だった。これだったら、妻の膝も心配はないだろう。そのうち道も山道という感じから里山のような雰囲気になり、道端にはまたしても水仙が植えられていた。しばらく歩いていると、展望台へ通じる道があったので、登って行った。

 果たして坂を登り切ると、展望台があり、前方には素晴らしい景色が広がっていた。右手には江の島の灯台が見え、市街地の先に見える鎌倉の海に夕陽が輝いていた。夕陽を浴びながら、ひとつだけあるベンチに腰を下ろして、しばし風景を楽しんだ。

 妻は膝に不安のあるためサポーターをしていたが、ゴムが緩くなったのか、よくずり落ちるようだった。ここでそれをすっきりと直したいと思ったらしく、誰もいないことをいいことに、ジーンズのボタンとチャックを開けて、修正していた。僕がなおも風景を楽しんでいると、後ろから妻が頓狂な声を上げた。

 「チャックが閉まらなくなっちゃったよ」後ろを振り返ると、妻はジーンズのチャックを上げようと必死になっているが、何処かに噛んでしまったらしく、それは一向に動いてくれない。僕もチャック上げようと手伝ったが、全くビクともしない。そのうち、親子連れが坂を上がってきた。とりあえず、着ているダウンジャケットで前は隠れるので、その場を離れた。妻はただただ笑い転げていた。

 坂の途中までくると人影もなくなったので、僕は後を振り向いて妻の股間のチャックを一旦下に引き下げてから、思い切り引き上げた。すると、噛んでいた部分が外れたようで、チャックは何とか閉まった。チャックの閉まった後も妻はただただ笑い転げていた。

 展望台から下り、ちょっとした広場になっているところからの道を下って行くと公園のような場所に出た。周りは住宅街で、ほんとにこの道でよかったのだろうかと不安になったが、地図上に乗っている‘かまくら幼稚園’らしい建物があったので、少し安心した。後で調べたところによると、この辺りはハイランド住宅地と呼ばれているらしい。

 舗装路と平行に走っている公園内の道を歩いていると、巡礼古道と衣張山の分かれ道の標識があったので、巡礼古道に方へ向かった。しばらく歩くと舗装路に出たが、すぐに巡礼古道の標識があり、また山道となった。巡礼古道はその昔、一番札所の杉本寺から二番札所の岩殿寺を結ぶ巡礼道だったそうである。道の途中には庚申塔などがあり、雰囲気のある道だ。場所によっては何処に道が続いているのかわからなくなるところもあり、別世界に迷い込んでしまったような気分になった。

 終わりに近づいた頃、岩窟に掘られた大きな地蔵があった。顔は風化でのっぺらぼうになっていた。この地蔵を過ぎてしばらく歩くと最後の急な下りに出る。がけ崩れを防ぐための壁に抑えられた内側の階段をロープを使いながら下りた。壁の向こうには住宅地が広がっている。下り終えると住宅の裏庭のようなところに出て、ここが巡礼古道の出入口になっているとは思えない雰囲気だ。細い路地を抜けると、報国寺への舗装路に出る。

 報国寺にも寄りたかったが、すでに門が閉ざされていて、中には入れなかった。時間を見るとまだ5時前だったが、冬の時期は閉門時間も早いのかもしれないと思った。後で調べると、拝観時間は16時までとなっていた。

 報国寺を過ぎた後は暗くなった道を鎌倉駅目指して歩いた。滑川にかかる華の橋から川面をのぞくと大きな鯉がたくさんいた。妻は橋の欄干に低いことに文句を言っていた。滑川の流れを見ながらの、散歩は気分がよかった。途中にある杉本寺にも寄ってみたかったが、時刻が遅くなりすぎたため、見送ることにした。鶴岡八幡宮が近づくにつれて、洒落たお店の数が増えていった。

 鶴岡八幡宮に着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていたが、それが参道の両側に吊るされた提灯の灯りを引き立たせていた。「ペルーから友人が来たら、真っ先にここに連れて来たいね。お店も含めてほんとに日本的な雰囲気だからね」と妻は言った。(2010.2.2)




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