幼なじみ

 群馬県に住んでいる妻の幼なじみが日曜日にやってきた。アナという独身の女性で、現在、携帯電話を作っている工場で夜勤として働いている。妻が結婚する前はゴールデンウィークなど工場が連休するときには、だいたい妻のところに泊りにきていたそうだ。結婚後は知らず知らずのうちに疎遠になってしまい、それを双方とも気に病んでいたらしい。

 妻の仲の良かった幼なじみは4人で、そのうちふたりはペルーで暮らしていて、残りのふたりが群馬のアナと沖縄で暮らしているルイサだ。ルイサとは会ったことはないが、よく電話がかかってくるため、何度か話したことはある。とても陽気で、妻にいわせると‘おかしい人’ということになる。しかし、アナは夜勤ということもあるのだろうが、面倒臭がり屋らしく積極的に人付き合いをしないみたいで、普段からあまり連絡はないようだ。

 初めは今年のお正月に泊まりがけでくる予定だったが、アナがインフルエンザにかかってしまったため、延期になっていた。今回も初めは土曜日の夜に来て一泊することも考えていたようだが、疲れているということで日曜日に日帰りで来ることになった。日帰りだと会える時間が短くなるが、僕とは初めてということもあり、気後れしたのかもしれない。

 しかし、その当たりのことはアナも思っていたらしく、日曜日の朝早くの新幹線でやってきた。東京駅に8時40分頃に着き、そこから電話があり、まだ寝ていた妻は起こされることになった。すぐに飛び起きてK駅に出迎えに行ったが、多少アナを待たせることになってしまった。

 8時40分に東京駅に着いたということは、10時前にうちに来ることになると思い、妻が出迎えに行った後、大急ぎで家の中を掃除したのだが、実際にやってきたのは11時を過ぎていた。妻によるとアナとK駅で落ち合った後、ふたりで駅ビルの食品売り場に行ってケーキを買い、その後コーヒーを飲んでいたという。そういえば、この日はアナの誕生日だった。ケーキは当然妻が買ったものだと思ったが、アナは自分が払うといってきかず、結局、自分の誕生日のケーキを自分で買ってしまったそうだ。

 アナが家に着いてから妻の作った遅い朝食を取りながら、3人で話した。アナは中肉中背で髪が長く、目と胸の大きい女性だった。昔は痴漢に胸をいきなり掴まれるということもあったらしい。そのときはいっしょにいたルイサの方が怒り、大声で汚い言葉を浴びせながら痴漢を追いかけたそうで、アナはそんなルイサに「ルイサ!恥ずかしいから、もうやめてよ」と怒ったそうだ。

 彼女の勤務時間は夜の8時半から翌朝の5時半までだ。夜勤は体によくないし、疲れると思うのだけど、彼女がいうには煩い人もいないし、人も少ないので気が楽だそうだ。もともと夜型の人間なので真夜中に働くことも苦にならないし、昼勤のときよりも調子がいいという。それにしては金曜日の勤務の終わった後、48時間眠り続けたこともあるとかで、いっしょに住んでいる妹が心配になり、様子を見に来たが「うるさい」といって追い払ったという。夜勤ということもあるのだろうが、外に出るのはあまり好きではないようで、寝ることが一番の楽しみらしい。

 朝食を取り終えると妻とアナはペルーに住んでいる幼なじみに電話をかけるとかでいっしょに電話のある二階に上がり、再び下りて来た時はもう3時近くになっていた。昼食はピザをとることにしたが、アナはいつも寝ている時間のため、あまり食慾はないといっていた。

 注文したピザが届いてすぐに妻の姉のカズエがやってきた。アナは妻の幼なじみだから、当然カズエとも幼い頃からの顔見知りということになる。そのため、カズエが来てからは、お互いの親類の話が中心になったため、僕にはよくわからず、テレビで競馬中継を観ていた。

 6時になってテレビで‘ちびまるこちゃん’が始まると、アナは「これ毎週見ているの。この後、サザエさんでしょ。これ始まると、もう休みもおわりかぁって気分になっちゃう」と言った。‘ちびまるこちゃん’と‘サザエさん’は国際的だなと思った。

 アナの帰る時間もせまり、夕食はどうしようかということになった。今から材料を買ってきて作るのは時間がかかり過ぎるので、「アナを送りながら、東京駅で食べよう」と提案した。そうすれば、食べてすぐに新幹線に乗って帰れるし、まだ、お腹が減っていないというアナにもいいと思った。飲食店のたくさんあるK駅周辺という案もでたが、やはり東京駅の方がいいということになった。

 「東京駅で食べるところあるかしら?」とアナは心配したが、「何もないことはないよ」と僕は言った。以前、出張で東京駅を利用したときに、地下に飲食店がいろいろとあったような記憶があった。しかし、それが果たして本当に東京駅だったのかといわれると自信はなかったのだけど…。

 東京駅に着き、とりあえず丸の内口か八重洲口か、どちらに向かうかを決めないといけなかったが、新幹線乗り場は八重洲口の近くだったような気がしたので、そちらに向かった。改札の近くまで来ると、地下に通じる階段のところに‘東京駅一番街’という標識が見えたので、そこに入ることにした。階段を下りるとすぐに地下街の案内図があったので見ると、いくつか店があった。何を食べたいかとみんなに訊くと軽いものがいいとアナがいったので、そば屋に行くことした。

 そば屋の反対側にはつけ麺の店があったが、長い行列ができていてみんな驚いていた。きっと美味しいのだろうけど、ゆっくりと食べられる雰囲気ではないので、初めに決めた通りそば屋に入ることにした。恐らく僕は一生、‘行列ができる店’とやらには縁がないような気がした。僕にとっていい飲食店とは、味が美味しいということも重要だけど、それ以上にゆっくり食べられるところだからだ。いくら味がよくても忙しないのはイヤな気がする。

 みんなの注文の仕方は、明らかにペルー式のように思えた。メニューなど誰も見ず、「入口のところにあったアレ」とか注文を取りに来た店員さんに言っていた。そば屋の初老の男性の店員さんは面白い人で、そば湯を持ってきたとき、「蕎麦湯です。蕎麦のそばに置いておきますね」などとダジャレをいったが、4人中3人がペルー育ちなものだから、誰もそれに気づかず拍子抜けしたような顔をしていた。

 「もう日曜日も終わっちゃうな。明日は仕事か…」と僕が独り言のように呟いたら、「私はまだ一日あるよ」とアナが笑った。
 「帰ったら何時くらいに寝るの?」と訊くと
 「うーん?眠いからすぐに寝ちゃう」とアナは言った。

 上越新幹線の改札口までアナを見送った。アナは改札を抜け、後ろを振り返って手を振りながら、コンクリートの壁に消えて行った。3人で東海道線に乗っていると、妻の携帯にアナからメールが届き、それからふたりの遣り取りは7、8回続いた。「楽しい気分が残っているんだね」と妻は言った。(2010.1.25)




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