失業の恐怖

 来年のことをいうと鬼が笑うというけれど、年越しまで数時間という今になってはそういうこともないだろう。

 先日、遅いクリスマスを祝うため義兄の家に行った。義兄は昨年の暮れに所謂派遣切りにあって職を失ったが、麻生内閣のエコカー減税によって車の需要が増えたため再び元の職場に戻ることが出来た。

 「来年は暗いね」と義兄は言った。今はエコポイントも延長になったから、仕事は忙しいが、それが終わったときが心配だという。しかし、エコポイントはさらに延長されそうだし、失業ということに関するなら、義兄よりも僕の方がずっと危険性は高いように思われる。

 今の仕事はもともと斜陽産業であるし、それに不景気が重なったため、今年は売上が約4割もダウンしたそうで、社長もその対策を来年早々にも打ち出すらしい。今の会社を辞めること自体はそれほど苦痛ではない。仕事そのものはそれほどイヤではないが、ワンマン社長を中心とした会社の持っている体臭のようなものが自分には合わないと感じているからだ。

 いい年をして無職になることの不安で、なかなか踏ん切りがつかなかったが、会社側が背中を押してくれるのなら、それもいいかなとも考えていた。しかし、昨年、年越し派遣村で過ごした三十台後半の男性が、一年間仕事を探したが見つけることができなかったといって今年は公設派遣村に身を寄せる画像をテレビで見せられると仕事を失うことの恐怖がじわじわと忍び寄ってくる。

 僕は全て自己都合のものだったが、これまで何回か失業している。20代ときの2回の失業は今思い起こしてみると呑気なものだった。それは年が若かったということもあるが、当時は日本経済も元気で仕事は何でもあり、高望みをしなければ短期間で次の仕事に就くことができたからだ。旅行に行ったりして半年くらい間が空いたときもあったが、就職活動を本格的に始めてからは、ひと月かからずに新しい仕事に就くことができた。

 しかし、30代後半で失業したときは苦しかった。初めは20代のときのことが頭に残っていて、厳しい経済状況になっていたが、それほど深刻に考えず、多くを望まなければ仕事は簡単に見つかると思っていた。ところがアルバイトでさえ、採用を断られる日々が続き、精神的に追い込まれていった。電車に乗っているときなどでも希死感が浮かび、怖くなった。

 焦り、自分の希望とは正反対というような零細企業に就職し、そこも結局、短期間で退社してしまう。そのうち、どうでもいいような気持ちになってきた。しかし、‘どうでもいいような気持ち’になったことで、気持ちに余裕ができたらしく、ホームページを開設したり旅行に行ったりとやりたいことをしながら、仕事を探すようになり、半年くらい過ぎた頃、何とか今の仕事に就くことができたのである。

 来年のことを考えると不安である。来年の今頃、僕が同じ会社で働いている可能性は一割もないように思われる。来年早々に失業なんていうこともあるかもしれない。そして、次に失業ということになれば、それはこれまでとは比較にならないほど厳しいものになるだろう。

 しかし、人間は誰でもいつかは死ぬ。ゴールはどんな人でもみんな同じなのだ。そう考えてみると、ゴールに辿り着くまでの間、どう歩いてもいいような気もしてくる。何も順調に楽して旅するばかりではないのではないかと思えてくる。山あり谷あり、それでもいいのではないか。なかなかできないことではあるけど、全てを面白がって受け入れてしまえばいい。

 来年はどんな年になるのだろうか?皆様にとっていい年になりますように…。(2009.12.31)




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