母の病

 金曜日、仕事を終えた後、カレーの材料を自宅近くのスーパーで買い、帰宅した。土曜日、日曜日と夕食の用意をさぼることができるので週末はついついカレーにしてしまうことが多い。ニンジンとタマネギが残っていたのも、好都合だった。妻は甥っ子の誕生日プレゼントを買いに横浜まで行ったので、ひとりでカレーとサラダを作り食べた。

 夕食を食べ終えて、横になりながらテレビを見ていると2階の電話が鳴った。うちの電話には子機がなく、1階にいて電話が鳴るとまず出ることができず、留守番電話になってしまう。このときもそうで、階段を上り終えたくらいに、留守電の切れる音がした。

 家に電話をかけてくるのは圧倒的にペルーに住んでいる妻の家族が多く、ほとんどスペイン語のため、留守電が入っていても僕はあまり聞かないことにしているのだけど、このときは、耳に入った最後の言葉が日本語だったような気がして、再生した。

 実家の母からだった。体の調子が悪くて、ここ1週間ずっと寝たきりになっているという。僕は慌てて実家に電話した。数回、呼び出し音が鳴った後、母が出た。

 母は日曜日に急に体に震えがきて、数回吐き、一時は救急車を呼ぼうかと思ったくらいの状態になってしまったという。その後、胃の調子が悪くなり、食べ物を全く受け付けなくなり、テレビの料理番組を見るのさえ、苦痛を覚えたそうだ。そのうち熱が38度を超えるくらい出てきて、全くの寝たきり状態になった。近所に住んでいる友達などがいろいろと食べ物を買ってきてくれたけど、どれも食べたくないものばかりでほとんど何も口にしていないという。

 医者には行っているの?と訊くと、毎日行っているが、全く見当違いの診断をされているようで、症状はほとんど改善されていないらしい。何処の医者に行っているのかと訊くと、近くのO医院だと言った。それではだめだ。O医院には僕も数回行ったことはあるが、風邪でさえ治ったという記憶がなく、しかも先生はもうかなりの高齢で、今言ったことも忘れているくらいなのだ。

 何か、食べたいものはないの?と訊くと、食欲は全くないが、穴子寿司を食べたいような気がするから、明日、来る時に買って来てくれないかと言った。しかし、一刻も早くどういう状態なのか知りたいと思い、母は明日でいいと言ったけど、これから行くからと言って電話を切った。

 早速、妻の携帯に電話して、母が病気になっているようだから、これから実家に行って様子を見てくると話し、家を出た。時刻は8時を少し回ったところだった。まず、川崎まで行き、穴子寿司を買おうと思った。しかし、時間の遅かったこともあり、ラゾーナ一階の食品売り場を歩いたが、穴子寿司を見つけることができない。

 他のお寿司は売っているのだけど、肝心の穴子寿司がない。実家近くにも、お寿司の専門店はあるが、そこに着く頃はもう9時を過ぎているだろうし、店は閉まっている可能性が強い。母の頼んだ穴子寿司ひとつ見つけられない自分が情けなくなり、涙が出そうになった。

 次善のものとしてお稲荷さんやかっぱ巻きを考えたが、食欲の全くない病人の場合、やはり本人の食べたいと思っているものを用意した方がいい。どうしようかと考えていると、このフロアーには名店街の他にスーパーのあったことを思い出した。

 スーパーでもお惣菜は売っているはずだし、お寿司もあるに違いない。僕はスーパーに入り、丹念に売り場を歩いた。鮮魚コーナーの続きの売り場に、コロッケやトンカツといった総菜売り場があり、その横にお寿司の置いてある一角を見つけることができた。しかし、スカスカで、ほとんど売れ切ってしまっている。それでも諦めずに見ていくと、あった!穴子寿司とかっぱ巻きとたまごがセットでパックになっているものを見つけることができた。早速、それを手に持ち、ついでに美味しそうだった梨を2つ買って実家へと急いだ。

 この梨を買ったことで、ちょっと苦労することになってしまった。買い物袋の中に梨2つとお寿司のパックをいっしょに入れたため、パックが不安定になり、気づくとお寿司が片側の寄っていて、見栄えが悪くなってしまった。食欲のない病人である、見た目でも食欲をそそるような感じにした方がいい。実家に着いたらお寿司はパックから出して皿に盛り直せばいいが、崩れてしまうとだめである。できるだけ、水平を保つように買い物袋を巾着のように絞り持った。

 実家には9時過ぎに着いた。母はふとんの下に座布団を入れて、そこに足を乗せて寝込んでいた。しかし、顔の表情はそれほど悪くなく、少し安心した。具合はどう?と訊くと、熱は下がったが、食欲は全くないという。買ってきたお寿司を皿に盛り、麦茶を入れて出したが、それもあまり食べたくないようで、穴子寿司を半分くらい食べると、もうたくさんという状態になってしまった。

 このまま何も食べられない状態が続けば寝たきりになり恐れもあるので、病院を変えた方がいいと言うと、明日、もう一回だけO医院に行って良くならなければ他の所に変えるつもりだという。しかし、日曜日は閉まってしまうし、明日、できれば比較的近くにあるT大学病院か、それでなければS医院に行った方がいいと粘り強く説得すると、母もS医院に行くことを了承してくれた。

 数日前までは、水分も取ることができなかったそうだが、今は取れるようになったと麦茶を少し飲んで、また横になった母に、明日また来るからと実家を後にした。家についた時は11時を回っていて、妻は心配そうな顔して待っていた。母の顔は思ったより元気そうだったこと、病名や病気の原因はまだわからないことを告げた。

 翌朝、実家に10時過ぎに行くと、すでに母はS医院に行った後だった。中でしばらく待っていると、母が帰って来た。話を聞くと、点滴をしてもらいだいぶ良くなったという。先生によるとウィルス性の風邪ではないかということで、胃に症状の出るものが流行っているらしい。多少、食欲も出たようで、勤め先の町工場の社長からの見舞の品物であるカステラを食べた。

 お昼、何か買って来ようかと言うと、食欲がないから自分の食べる分だけ買ってきなさいというので、駅前の商店街まで行き、お寿司のセットとお稲荷さんと太巻きを買った。お寿司だけ自分で食べて、お稲荷さんと太巻きはもし気が向いたら食べてと母の分を残した。夕食は?と訊くと、お粥を作って食べるから心配しなくていいと言われた。

 前日よりだいぶ良くなったので、少し安心することができた。しかし、年の経つことの早さを思い、寂しく切ない気持ちになった。日曜日の朝、電話をすると昨晩はお粥を作って食べたということだった。母の「昨日は、ありがとう」という声にまた寂しい気持ちになった。(2008.10.4)




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