人を孤独にするアイテム

 会社の昼休み、食事を取りに多くの飲食店の集合体になっているフードコートに行った。ここのところ5月とは思えない寒い日が続いているのでラーメンとアイスコーヒーを注文して空いている席に座った。寒いのにアイスコーヒー…と思われるかもしれないが、この店はラーメンを注文すると通常150円のドリンクが100円で飲める。そのドリンクは全て冷たいものばかりなので、ほんとだったらホットを飲みたいところだけど仕方ない。

 僕の左隣にはサラリーマンの2人組がハンバーガーとコーヒーを、右隣には10代の後半と思われる若い男女がそろってラーメンとチャーハンのセットを食べていた。僕は水を飲みながら、持っていた文庫本を読み始めた。ちょうど2人目の死体が発見されたところで早く続きを読みたかったのだが、本を開くとすぐにラーメンの出来たことを知らせるブザーが鳴った。

 ラーメンとアイスコーヒーを席まで持って来て、急いでラーメンを食べ、アイスコーヒーを飲みながら再び小説を読み始めた。そして3番目の事件が起きた。被害者と思われる男性は血痕を残して行方不明になった。読んでいるのは推理小説なのだけど、推理小説家ではない人が書いた推理小説なので短く、次から次へと死体が出るのである。

 「ちょっとトイレ行ってくるね」と僕の右斜め前方に座っていた女の子が前に座っている男の子に声をかけて席を立った。
 「じゃー、俺、ゲームやってるよ」と男の子は言い、携帯式のゲーム機を取り出して始めた。僕はさらに小説を読み進めていった。やはり想像通り3番目の犯罪は犯人の偽装であることがわかった。しかし、この後くらいから小説に集中することができなくなってしまった。僕の右隣に座っている男女カップルの雲行きが怪しくなってきたのである。

 気がつくと、トイレに行っていたはずの女の子は戻って来ていたが、その態度が先程までと一変していた。前に座っている男の子の方を見ないでそっぽを向いている。男の子は手で彼女の腕をつついて「どうしたんだよ」と言ったが、彼女はそれを完全に無視した。男の子はさらにテーブルの下から手をのばして、今度は彼女の膝辺りを触ったが彼女の反応はない。

 「どうしたんだよ!」男の子はいらいらして来たようで、と今度は声を多少荒げて彼女に言った。険悪なムードに僕は推理小説どころではなくなってしまった。暴力沙汰にでもなりそうな雰囲気だ。隣に座っている僕としては、何かあったらとりあえず、止めに入らないといけないだろうけど、あまり自信はない。

 「いい人がいないか見てるのよ」と女の子は彼の方には目もくれないで、吐き捨てるように言った。「ふん、もう出ようぜ」と男の子はテーブルの上にあるラーメンとチャーハンの食器を返却口まで持って行った。いつの間にか女の子の食器は片付けられていて、彼女はひとりでどんどんと出口の方に行ってしまった。

 男の子はそれを見てかなり焦ったようで、食器を返却すると彼女の後を必死で追いかけたが、出口に向かう人の壁に阻まれてなかなか距離は縮まらない。女の子は出口から外の雑踏の中に消え、男の子もそれに続いた。

 ふたりのいなくなった後、どうしてふたりはケンカになったのか考えた。女の子がトイレに行くまで雰囲気は悪くなかった。彼女がトイレから戻ってきた後、何かがあったはずだ。しかし、僕は推理小説に夢中になっていたので、その経過がさっぱりわからない。

 夢中…。そういえば、女の子がトイレに行く時、男の子は一人の時間を潰すためにゲームを始めた。或いは僕が推理小説に夢中になっていたように、彼もゲームに夢中になっていたら…。

 女の子が食器を片付けたのは、ゲームに夢中になっている彼の注意を引くためだったのかもしれない。しかし、彼はゲームをやり続けた。彼に思い知らせるために、彼女は完全に無視する態度をとったように思う。彼が無意識のうちにしたように…。

 彼が何かをしたり、何かを言ったのではなく、何もしなかったから彼女は怒ったのではないだろうか。彼らのようなカップル、または友達同士でも、どちらか一方が、またはふたりとも携帯電話やゲームに夢中になっていて、せっかくふたりで行動しているのに会話が聞こえてこないという光景をよく見かける。人の周りには、人を孤独にするアイテムがいっぱいある。

 これは決して他人事ではない。僕もよく家でテレビに熱中して、妻に怒られている。(2008.5.17)




皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT