社会の窓

 電車に乗ったら、1つだけシートが空いていた。僕より前に乗り込んだ50代くらいの男性が座るかなと思って見ていたら、彼はそれに気づいていたが、何故か座らないで反対側に行ってしまい吊革をつかんだ。

 朝の通勤時にはよく見かける光景であるが、休日では珍しい。通勤時は混んでいることが多く、どの吊革にも人がつかまっている。そんな中でたまたま目の前の席が空いた場合、隣に立っている人への遠慮や、またいちいち座るのも面倒臭いという気持ちから、あえて座らない人が多いように思う。しかし、休日は車内もそんなに混んではいなし、何より気持もゆったりとしているから席が空いていたら座るのは普通だ。

 何か理由があるのではないかと考えたが、空いている席を前にして立っているというのも不自然で僕は三人掛けのシートの空いていた真中の席に座った。あまり天気のよくないせいもあるのだろうか、車内はかなり空いていてゆったりとした気持ちになり、目的地に着くまで読書でもしようと思い、持っていた文庫本をバッグから出して読み始めた。しかし、昨日の夜、遅くまでパソコンでゲームをやっていたせいか目がしょぼしょぼして辛くなってきたので、本から目を離して何気なく反対側の席に座っている人たちを見た。

 向かって右に中年のおばさん、真ん中に若い女性、そして左端の席には若い男性が座っていたが、その若い男性のジーンズのチャックが全開になっていた。整髪剤で髪の毛を立ち上げて固め、皮ジャンにLevi’sのジーンズをはいていてもこれでは台無しである。もし、これが他のこと、例えばシャツのボタンが取れかかっているとか、ズボンに何か付いているとかだったら注意もできるだろうが、「ジーンズのチャックが全開になっていますよ」とか言い難い。僕はできるだけ、彼の方向を見ないようにした。

 社会の窓の全開、これは結構あるのである。僕自身も数年前、会社の朝礼の終わった後、トイレに行って全開になっていることに気づき、とても恥ずかしくなった記憶がある。家を出てからトイレに入ったのはその時が初めてだったため、通勤時間の約1時間と朝礼の時間の約30分、合計1時間30分もの間、開けっ放しになっていたことになる。

 その時は新年明けての仕事初めの日だったと思う。正月休みで心身ともに呆けていたのかもしれないが、それにしても信じられないような気持ちだった。もちろん誰も注意してくれた人はいなかった。或いは、まだ寒い時期だったから通勤時はコートで隠されて見えなかっただろうし、朝礼の時も立っていたのでうまい具合に開いたジッパーの左右がぴったりと合わさっていて誰にも気づかれなかったのかもしれない。

 先日も朝、トイレから出て仕事に行こうとして玄関で靴を履きかけたとき、ズボンのチャックが全開になっているのに気づいて、慌てて閉めたことがあった。それにして全開になっているのに気づくのは恥ずかしいものである。そんな恥ずかしいことなのに、意外と注意が行き届かないというのもまた不思議な気がする。

 僕が目的地に着いた後も、その若い男性は席に足を広げたまま、座り続けていた。車内が混んで来ても、彼の周りだけは人が寄って来ないのではないかと余計な心配までしてしまった。

 それにしても何故、ズボンのチャックのことを‘社会の窓’というのだろうかと思い、ネットで調べてみた。昔、NHKラジオで放送されていた情報番組「インフォメーションアワー・社会の窓」から来ているらしい。この番組は社会問題を掘り下げて鋭くレポートするもので、「隠されているその中を覗くと、人間の大事なものが見える」というコンセプトだったため、そこからこの俗語が生まれたようである。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他参考)

 また、僕は知らなかったのだけど、女子のスカートのチャックのことを「理科の窓」といっていたところもあるようだ。こちらは男性の‘社会の窓’に対する語呂合わせらしく、深い意味はないようだけど、よくよく考えてみるとちょっと意味深のようにも思えてくる。(2008.4.26)




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