アルフレッド・ヒッチコック監督の作品に裏窓という映画がある。足を骨折して動くことのできないカメラマンは自分の部屋の裏窓から近所のアパートの住人の私生活を見ることが日常になっている。そこには、ほとんどいつも窓にカーテンを引いている新婚のカップル、半裸で元気よく踊るバレリーナの卵の若い女性、ピアニスト志願の貧しい男性、犬を可愛がっている老夫婦、孤独なオールドミスなどそれぞれの人生が垣間見られる。 その中、病気でベッドに寝たきりの中年の女性と彼女の世話をしている男性の夫妻がいる。妻は癇癪持ちのようで年中、世話をしている夫を怒鳴りつけている。或る夜、カメラマンは女性の叫び声のような音を聞いて目を覚ます。それが現実のことなのか、夢の中のことなのかわからなかったが、翌日からその寝たきりの妻の姿が見えなくなる。彼は自身の観察した状況から夫が妻を殺害したのだと推測する。そして、そのことを彼の恋人や日々の世話をしてくれる家政婦、親友の刑事に訴えるが、彼らは彼の言うことを信じてくれない。 自身の推測に確信を持っているカメラマンはなおも毎日、入念に夫の行動や部屋の状態の監視を続け、男が妻を殺害したという状況証拠を積み重ねていく。それにより、始めは彼の話を一笑に付していた恋人と家政婦が物証を掴むため、彼の手足となって動き始める。そして終に決定的証拠を掴むため、恋人は男の部屋に忍び込む。そこに外に誘き出した男が戻ってきてしまう。カメラマンは機転を利かせて警察に通報し、恋人は駆け付けた警官に家宅侵入によって連行されるが、男はその時に自分をずっと覗き見していた者の存在に気づく。そして、動けないカメラマンの元に男の足音が近づいていく…。主人公のカメラマンをジェームス・スチュワート、彼の恋人役を後にモナコ王妃になったグレース・ケリーが演じていた。 今、住んでいる借家にも裏窓と呼べるような窓がある。もちろん、その窓からはヒッチコックの映画のように、他人の魅惑的な生活が見られるということはないが、それでも隣接するアパートの住人の部屋が2つ、3つ見えたりする。 うちの裏窓の東側にあるアパートの2階には、中年の夫婦ものが住んでいる。天気のいい日にはよく一階の廂の上にふとんを出している。窓には女性の下着がたくさん連なって干されていたりして、越してきた当初はドキッとした。しかし、それらはよく見ると若い女性がつけるようなものではなく、妻のよるとサイズもかなり大きいそうで、ときめきはあまりなくなった。また、サボテンを育てているようで、天気のよい日などはよく窓の外に置いている。 この夫妻はヒッチコックの映画とは違い仲のいいようだ。今は寒い時期だから窓は閉められていることが多くて様子はわからないが、夏の頃はだいたい開け放たれていて夜など仲良くテレビを見ている姿があった。 家の裏窓の真正面にあたるアパートの2階には30代くらいの男性がひとり住んでいた。夏の夜など、甚平を着て部屋をうろついているのがよく見えた。しかし、ここのところ部屋の窓はずっとカーテンが下ろされたままになっている。始めは季節のせいかとも思ったのだけど、部屋は夜になってもずっと暗いままだし、引っ越したのかもしれない。逆に夏には全く人気のなかったそのアパートの1階に最近灯がともり、テレビの音なども聞こえてきたりする。 裏窓から見える光景で思い出すのは中学3年から高校2年のときまで住んできたマンションからのものだ。当時、僕は深夜ラジオをよく聴いていた。特に土曜日の夜などは明け方近くまで起きていて、また、天体観測が好きだったので、ベランダに天体望遠鏡を出して、ひとり星を追いかけていることもあった。 そんな時、うちはそのマンションの3階の部屋だったのだけど、隣接する一軒家の1階のマンションに面した角部屋は常に灯りが点いていたのである。それは橙のかかった温かみのある灯りだった。その光が窓を通してぼうっと外にもれていた。土曜日の夜はいつも朝までその状態が続いていた。それは真夜中に起きている仲間のように思えて、天体観測をしている時など、その灯りを見ると安らぎを覚えた。もれて来るのは灯りだけであり、物音は全くしなかった。 僕はその部屋にいる人についていろいろと想像してみた。夜通し起きていることから、受験生かとも考えたりしたが、それにしては灯りが落ち着き過ぎているような気がした。群馬に住んでいる従弟が夏休みに遊びに来たとき、彼の意見を訊いたりした。彼は何か良からぬことをしているのではないかなどと勘ぐっていた。当時、田舎では夜更かしする人などはあまりいなかったし、従弟の家も11時くらいにはみんな寝てしまい、一晩中灯りの点いている家などはまずなかった。 しかし、僕は自分の中である結論を持っていた。彼は職業的な物書きで、夜通し原稿を書いているのだと。それは、客観的な状況から導き出された結論ではなく、ただ単なる僕の思い込みだった。いや、願望と言い換えた方がいいかもしれない。 真夜中、独り静かに何かを書く。しかも、それで生活が成り立つ。それは僕にとって羨望を覚えることだった。会社に勤めるのなんて真っ平だったし、また人見知りの激しい自分がその中でうまくやっていけるとは思えなかった。一人でできる仕事、それも自分のやりたい時にできる仕事。僕は暗く静かな夜にぼうっと橙色に光る窓を見て、そんなことを夢想していた。(2007.12.16) |