お母さんの帰国

 8月15日に来日したJさんのお母さんが帰国した。平塚にある三女のカズエの家に滞在していたときは、呼び出されたりして面倒くさいなという気持ちが強かったのだけど、実際に帰ってしまうと寂しい風が心に吹いた。それはもうなかなか会う機会はないだろうと想像できることにもよるけど、それだけでもない気がする。それにしても、人の心は身勝手なものである。

 一月前、妹のTiaヨシコといっしょに僕とJさんの後を追うように来日、いろいろな人から歓迎を受けた。私の母とも会い、沖縄にも行って長い間離れ離れになっていた兄弟たちとも再会した。この沖縄旅行が一番楽しかったようだ。兄弟6人が揃うとうるさくて、うるさくてと沖縄に同行した姪のカーコが、先週Tiaヨシコを成田空港まで送ったときに笑いながら話してくれた。

 ハトバスに乗っての東京巡り、後半は日本にいる親戚の家を泊まり歩いて、「私より活動的よ」とカズエは苦笑していた。私とJさんの家を訪問しようとしたとき、カズエとお母さんはちょうどやってきた電車に乗れたが、Tiaヨシコは遅れてしまい目の前でドアが閉まった。それを見たお母さんは「キャー!」と悲鳴を上げ、事故が発生した思った車掌さんが閉じたドアを開けたためTiaヨシコも電車に乗ることができたという。そんなお母さんも日本で生活するうちに電車にも慣れて、そのうち自分でさっさと乗り込んで荷物をおいて「カズエ、席、取れたよ」と呼んだりするようになったそうだ。「恥ずかしかったよ」とカズエは笑っていた。

 また、ふたりはかなりの方向音痴のようで、お母さんなどは高速道路のパーキングにあるトイレに入ってその中で出口がわからなくなり、迷ってしまったそうだ。沖縄に行った時も、早朝ふたりで散歩に出たのはいいが、これまた道に迷ってしまい、何処かの公園に行きついてそこでラジオ体操の輪の中に入っているところを、なかなか帰って来ないので心配して探しに出た親戚の人が見つけたらしい。

 ただ、楽しいことの裏には、多少の疲労というものがある。一か月に及ぶ滞在で、その主たる場所となった三女のカズエかなり疲れたようだ。日本とペルーの大きな違いは、日本はとにかく仕事が優先であるという点だ。

 ペルーの人たちは、そういったところはいい意味でいい加減であり、あくせくしていない。ペルーから日本には、そう簡単に来られるものではない。しかし、カズエの夫フェルナンドは仕事を休むということもなく、二男のタカシもいつも通り部活を続けた。これは、このふたりに限らず、他の親戚も仕事を持っている人はほとんどそうだった。

 したがって、カズエと大学の夏休みで比較的時間の余裕のあった長男のケンタがお母さんとTiaヨシコのエスコート役になることが多くなった。私たちが会うとしたら、どうしても週末になってしまうし、その週末だってゴロゴロ寝ていたい時もあれば、自分のやりたいことに時間を当てたい時もあるから、そうそう毎週行くというわけにもいかず、Jさんはカズエに「もっとお母さんに関心を持ちなさい。電話もほとんどして来ないし、Hも1度しか来ていないよ。お母さんがっかりしているよ」と薄情呼ばわりされてしまった。

 この時はお母さんとTiaヨシコが来日して2週間が過ぎたくらいだったので、会社を休まない限り、最大会えたとしても2回くらいであるから、それほど知らんぷりというわけでもなかったのだけど、食事や洗濯、いろいろなところに連れて行ったりと、ほとんどひとりでやっていたカズエは誰かに当たりたかったのだろう。それがたまたま電話した妹のJさんに向かってしまったようだ。そして、僕たちが沖縄から戻ってくる二人を羽田まで出迎えることになった。

 びっくりしたのはふたりの荷物の多さだった。たまたま車を持っているカーコも出迎えに来てくれたから助かったが、もし私とJさんふたりだけだったら電車を使ってふたりの荷物を運び、送り届けるのは容易ではなかっただろう。ふたりの最大の問題点は方向音痴であるということと、荷物は誰かが運んでくれるものと思っているものだから重量をあまり気にしないということにあるようだった。

 Tiaヨシコを成田空港まで送っていくときは、日曜日ということもあるカーコが車を出してくれた。ケンタがナビを見ながら道案内をして、考えていた時間よりも早く着くことができた。
 そして、今日、お母さんの帰国だった。土曜日ということもあり、カズエとケンタふたりでレンタカーを借りて成田まで送り、そこで私と合流した。やはり大きな荷物で「50Kgくらいありそうだよ」とケンタは笑っていたけど、ふたつとも23Kgで合計するとそのくらいになった。

 チェックインも終わり、お母さんとカズエはベンチに座り、私とケンタはその横に立って雑談をしていた。お母さんの横のベンチには若いカップルがふたり並んで座っていた。私たちが立っているのを不憫に思ったのか、お母さんは私とケンタに「そこに座らせてもらいなさい」と言い、それを聞いた若いカップルは席を立って行ってしまった。私とケンタは顔を見合せて苦笑するしかなかった。

 そんな、こんなしているうちに頼んでおいた車椅子がやってきた。ペルーを出る時は必要ないと言っていたのだけど、周りに勧められて使ってみると必要な手続きはみんな係りの人がやってくれるし、とても楽だったので飛行機に乗るときは車椅子を頼むことにしたようだ。

 みんなと握手して、写真を撮って、「ありがとう、ありがとう」と言ってお母さんは車椅子を押されて人ごみの中に消えて行った。(2007.9.16)




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