どうだった?

 旅行から帰って来て、しかもそれが海外だとなおさら、「どうだった?」「どうだった?」とみんなから訊かれる。その応えとして「よかった」とか「楽しかった」とか「とてもいい所だった」とかに普通はなるのだろうけど、僕はそう言えないでいる。何故なら、よくわからなかったからだ。

 ペルーがいい所なのか、悪いところなのか、旅行が楽しかったのか、楽しくなかったのか、輪郭がぼやけてしまってはっきりとした像を結ばない。その原因として思い当たることは、いろいろとある。

 リマ市内、いろいろな所に連れて行ってもらった。セントロやミラフローレス地区といった代表的な場所は元より、競馬場に行って馬券を買ったり、民芸品店が並んでいるモールを覗いたり、スーパーまで日用品を買いに行ったり、デパートの中を見て回ったり。しかし、ほとんどが車で連れて行ってもらったもので、街をゆっくり歩くという機会が1度しかなかった。

 それは、リマ市内の治安が悪いということが大きく影響しているが、それ以上にJさんの実家に泊まったということが大きかった。約5年振りにしかも結婚相手を連れて帰って来たのだから、次から次へと親類、友人、知人が訪ねて来るといった状態で、その対応に追われた。その疲れからか、なかなか体調が元に戻らず、また眠りに逃げ込みたいという気持ちもあったのだろう、始めの1週間は寝ていることが多かった。僕にとってのリマはJさんの実家の中になってしまった。

 旅の後半はイキートス、クスコそしてマチュピチュとハードな日程で周った。これらは現地のツアーに乗らないと行けない所が多く、団体行動を余儀なくされ、自由な時間が特にイキートスではあまりなかった。クスコではJさんが高山病にかかったおかげといってはなんだが、初日、2日目とツアーをキャンセルすることになり、体調がだいぶ回復した2日目にゆっくりとした時を持てたくらいだった。

 そして、この旅行期間中、街をのんびり散歩したり、喫茶店に入って周りの風景を見ながらおしゃべりしたり、或いは独りで本を読んだり、何かを思索するといった、ゆったりとした時の流れに身を置くということがあまりなかった。それもペルーというところが今ひとつ、心に定着し切れなった原因だったかもしれない。ただ、人に追われ、そして時間に追われ、3週間が過ぎてしまったように思う。

 しかし、よく考えてみればわずか3週間という短い期間で、日本とは文化も習慣も違う外国を理解できるはずはないのだ。3週間が3か月になったとしてもあまり事情は変わらないかもしれない。むしろ、何かわかったような気になるのは、勘違いであり危険なことだと思う。

 もし、僕がひとりで街を歩いていてひったくりに遭い、カバンを取られたとする。すると、それだけで「ペルーは酷い所」だと言いかねないのだ。それは明らかに間違った思い込みである。本来、旅行者が言えるのは自分の体験や感想であって、それを一般論まで引き上げて、その国を裁断したり、賛美するのは根底に驕りがあり間違っている。わずかな期間そこで過ごしただけで、その国を語れるほどすごい洞察力を持った人間なんていないはずだ。

 「ペルーってどうだった?」「わからない」「旅行、楽しかった?」「わからない」では格好がつかないので「一言では言えないよ」と応えるようにしている。この旅行で一番僕が強く感じたこと、それはリマの空気は東京よりはるかに汚いということだった。(2007.8.25)




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