この一月

 この一月、文字通り生活に追われていた。引っ越しをすればそれに伴い煩雑な用事が増えるのは当たり前だけど、それ以外に朝夕のご飯の準備や掃除、洗濯、物品の整理や新しいPCの環境整備などいろいろなことが重なり疲れ切ってしまった。

 新しい家に引っ越してきた当初は、気も張っていたためかそれほど疲労を感じず、朝は会社まで電車を使わず約30分の道程を歩いて行ったりしていたのだけど、3週目の月曜日には前日の日曜日に長い距離を歩いたせいかもしれないが、ぐったりとしてしまい、やっと仕事をしているという状態になった。

 今の生活はだいたい朝7時半くらいに起きて、朝ご飯を作って食べて会社に行き、仕事が終わったら夕食と翌日の朝の食材や必要な物を買って帰り、夕食を作り、それを食べ後片付けをして、風呂の準備、場合によっては洗濯の準備などをして、12時前くらいには床に就くようにしているが、その間なかなかゆったりとした時間を持てないでいる。

 よく考えてみると極々、普通の生活なのだけど、これをまともにしようとするとかなり疲れてしまう。特にJさんは水、木、金と夜はスーパーのバイトをしているので、僕ひとりでいろいろと行わなくてはならず、また深夜帰宅するJさんのために消化にいい食事をなどと考えると、疲労はさらに深くなる。

 実家にいたとき、母から「今日は何を食べたい?」とよく訊かれたが、その度に「何でもいい」とか「特にないとか」とか応えていた。しかし、食事は作るより、何にするかと考えることの方が大変なのだということが今わかった。まだJさんのいる日はいいが、Jさんがスーパーのバイトに出ている夜の食事を独りで作り、食べるのは、寂しいというより、侘しい気持ちになってしまう。

 Jさんは今までほとんど自炊をしたことがないため、食事用意は僕が6対4または7対3くらいの割合で受け持っている。またJさんは日常生活には全く支障はないのだけど、日本語にあまり自信がないため、いろいろな手続き関係もほとんど僕の担当になってしまい、また土曜日も働いていることから掃除も僕の仕事になってしまった。洗濯は火曜日と土曜日にJさんがすることになっているのだけど、経費を節約するため風呂の残り湯を使っている。しかし、それを洗濯機まで送るホースをJさんがなくしてしまったため、僕がバケツで風呂の水を運ばないといけなくなってしまい、情けない話しだけど、これが仕事で疲れている体には結構こたえたりする。

 そんなこんなでなかなかゆっくりする時間が持てなくて、精神的にも肉体的にも疲労してしまったわけである。恐らく普通の主婦の人はこのような、或いはさらにハードな生活をずっと続けているのだろうけど、それほどタフでない僕には辛いものがある。

 こういう生活を続けていくうちにうまく手を抜くことを覚えて慣れていくのかもしれない。また、疲労がもっと重なってシリアスな局面に入っていく可能性もあるような気がするが、それだけは避けないと…と思っている。息の入れ方、手の抜き方が重要なのかもしれない。

 何でも一生懸命やってしまう人もいるし、うまく手を抜ける人もいる。考えてみると、僕は仕事でもうまく手を抜くことができず、疲れ切っていたような気がする。ある程度の年齢になってから、少しは要領がよくなった気もするが、真面目に考えすぎる性質なのか…、いや、いや、それほど真面目というようなこともないんだけど。

 最悪なのは、それが自分の中だけで処理されず、他人を巻き込んでしまう場合だ。俺がこれだけ一生懸命やっているのだから、お前もやれというわけである。社員のときはのんびりと仕事をしていたり、あまり残業をしないアルバイトへの当たりがきつくなってしまったりしたことがあった。特に体調が悪かったり、疲れていたりするとその傾向が強くなる。そして、今はそれがJさんに向ってしまったりしている。

 ついついきついことを言ってしまい、後から「別にあんなこと言わなくてよかったな」と悔いることしばしばである。とにかく、少し肩の力を抜いて、ぼちぼちやっていこう。全てを完璧にする必要はないし、それはまた無理なことなのだから…。(2007.5.3)




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