朝、通勤電車に乗ったら、混んでいる車内の中にぽっかりと席が空いていた。ラッキーと思い、腰を下ろすと隣りに座っていた若いサラリーマン風の男性が黒いコートの裾を強く引っ張った。僕の右のお尻の下から、生地が抜けて行くのがわかった。長いコートの裾が空いていた隣りの席に流れていて、そこに僕が座ってしまったのだ。電車の中では、比較的よくある光景だと思う。 あまりに強くコートの裾を引いたので、謝ろうと思い隣りを見ると、その若い男性は仏頂面をして携帯電話をいじっていた。たかが、コートの裾の上にちょっと座ってしまっただけなのに、いらついた態度を示され不快な気分になった。 コートに気づかず、その上に座ってしまった僕もよくないが、コートの裾を隣りの席まで投げ出しているのも不注意ではある。「あ、これはどうもすいません」とお互いに謝れば、気分もいいはずなのだけど、そういった心遣いができる人がめっきりと少なくなってしまったような気がする。 電車を下りて、ホームを歩いていても、いらついている人の多いこと。とにかく先へ、先へと人にぶつかり、押しのけて前に進む。のんびり歩いていたりすると「どけ」とか「邪魔なんだよ」などという言葉を吐き棄てていく人もいる。 自動改札へ殺到していく、人の群れ。その流れから外れて傍観していると、狂った動物の集団のように見えて来る。早く、早く、先へ、先へ。階段を駆け下り、電車に飛び乗り、行き先は監獄のような場所。そんなに急いで行きたいところなのだろうか? どんなに急いでも、最終的な行き先は決まっている。だったら、少し余裕を持って周りを見た方が面白いんじゃないかな。憲法を改正しても、教育を改革しても‘美しい日本’には遠い気がする。周りの人と笑顔で接することができれば、それだけでもう十分に美しいように思う。余裕を失った今の日本はあまりにも醜くなっている。(2007.2.16) |