エラいところに嫁いでしまった!

 先日、テレビ朝日で放映された「エラいところに嫁いでしまった!」というドラマを見た。都会で知り合った男女が結婚した後、夫の方の実家に挨拶に行く。ところが夫の実家は大層な旧家であり、親類も多く、数々の仕来たりがある。誰にも束縛されない都会での自由なふたりだけの生活を考えていた妻は、そのギャップにへとへとになってしまう。それでも何とか、披露宴をこなして都会のマンションに帰って来たら…という内容で次回のお楽しみというわけである。

 このドラマを見て、他人事ではないと感じてしまった。というのも、今付合っている日系ペルー人のJさんもやたらと親戚が多い。まだ、よく彼女を知らなかった頃は、当然、外国人であるから、日本に知り合いは少ないのではないかと思っていたのだけど、さにあらず、周りは親戚ばかりという状況だった。彼らも日系のペルー人で、ペルーの経済がよくないため、日本に帰って来たようだ。

 12月24日にはお姉さん夫婦のところでのクリスマスパーティ、12月31日から1月1日にはTiaシズのところで年越しのパーティ、さらに1月13日に従妹のメグのところで長男タクの誕生日会と続き、自分でも気づかないうちにかなり精神的に消耗していた。

 それに気づいたのは、タクの誕生日会が終わった後、Jさんのアパートに行き、いろいろな話しをした後、ペルーから送られて来たJさんの家族や親戚に写真を見せてもらっている時だった。「この人は、…」「この人は、…」という説明を受けているうちに、心が重くなっていくのが感じられた。果たして僕はこの人たちとうまくやっていけるのだろうかと考えると、とても無理のような気がしてきて、自分の周りの空気が真空になってしまったような感覚に陥った。

 もともと自分は大勢の人間と同じ空間にいるのが苦手で、それだけで疲労感を覚えてしまったりする方なのだ。それが、さらにほとんど知らない人ばかりとなると…これはもうかなりやばい状況である。大晦日のTiaシズの家でのパーティでは、それほど疲労を感じることはなかったけど、やはり後でぐったりしてしまった。

 しかも、その人たちがみんないい人っぽいから、さらに辛い。悪いヤツとかだめなヤツとかが多少でも混じっていると、こちらの気持ちもまだ楽なのだけど、今のところそういう人も見当たらず、優等生ばかりの中にやってきた転校生のような立場だ。

 本来の自分は多分、孤独な人間なのだと思う。旅行なども独りのときの方が、安らぐ。このまま、偽りの自分を続けたらいつか破綻してしまう、そんな気持ちが強くなり、月曜日にJさんに気持ちを聞いてもらった。

 「自分は人見知りをする性質で、あまり大勢の人といっしょに過ごすと疲れを感じる。だからJが望むように、みんなと打解けることはできないかもしれない。それは大目に見てもらいたい。一気にではなく、少しづつ慣れて行きたいと思うが、本来、こういうのは苦手だということはわかっていてもらいたい」というようなことを言った。Jさんは「自分の友達の感覚でいいよ」というが、彼女にとっては友達でも、僕にとっては昨日今日会ったばかりなのだから、とてもそう思えるものでもないし、また例え長い付合いになったとしても、友達になれるかどうかはわからない。そういう僕の素質をJさんは薄々わかっていたようで理解を示してはくれた。

 何事にしても努力することは大切なことだと思う、しかし、その反面、諦めることもまた必要なことのような気がする。無理をして努力を続けるより、自分の心をぶちまけてしまう方がいいこともあるように思う。‘いい人’をずっと続けるのは疲れるものだから…。(2007.1.18)




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